#266 悪魔の辞典と再会

『笑いの力』を読んでいて、その中の「文学と笑い」のセクション(筒井康隆)でアンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』が出てきました。 この本については、野村益寛氏の『ファンダメンタル認知言語学』でも触れられていた記憶があります。「意味とは何か」を考える章で、事態をどう見るかという「捉え方(construal)」との関連でコラムとして紹介されていたはずです(あいにく連休中で手元に本がなく、詳細を確認できないのがもどかしいのですが)。そのときは、確かに絶対の意味は存在しなくて、その時代だったり、その人ならではの「捉え方」が意味に含まれているのだ、という理解をしたと記憶しています。 ...

2026-5-3

#243 見方は見せ方でもある

本多(2006)の「5. 副助詞タリ」についての記述を興味深く読みました。自分でも無意識に使っているな、と感じたからです。本多によれば、「タリ」には、話し手がある事態を「生起の必然性がない」と認識していることを示す働きがあります。その効果として、以下のような事態を表すことが可能だといいます。 ...

2026-4-10

#77 objectifyとreify

以前、ウォーフの議論の中で、ホピ語に比べて英語などの Standard Average European(SAE)の言語が objectify(対象化)する傾向が強いという点に触れました。この傾向はさまざまなところに見られ、たとえば「時」や「程度」といった目に見えない概念を表す際にも、物理的な単位を用いる形で表れるとされています。 ...

2025-10-1

#30 それぞれのオーロラ

昨日の記事では、『星野道夫』の引用を手がかりに、伝統的な言語学に対する社会言語学の位置づけについて思いを馳せました。今日は、もう一方の引用を取り上げながら、そこからつながって考えた認知言語学の「捉え方(construal)」について書いてみたいと思います。 ...

2025-9-1