石川・滝島(2000)の『広告からよむ女と男:ジェンダーとセクシュアリティ』に収録されている、神澤志摩さんの「第2章 広告が生む性差」を読みました。本章では、1980〜1990年代の新聞、テレビ、ポスター、雑誌といった広告を対象に、男女がどのような役割で描かれているのかが分析されています。今回は、この章を通して広告と性差の関係を考える中で、特に印象的だったポイントをまとめておきたいと思います。

まず興味深かったのは、広告の制作側が意図した本来の目的とは異なる形で、受け手にメッセージが届く可能性があるという点です。たとえば車の広告を見た際、単に「車を買う」という消費のメッセージではなく、描かれている和気あいあいとした家族像や休日を楽しむ男性の姿から「自分もそのように解放されたい」といった別のメッセージを受け取るケースがあります。

また、広告における登場人物の描かれ方についても鋭い分析がなされています。有名なプロ野球選手がエナジードリンクのCMに出るような場合、すでにその人物が持つ役割やイメージ(鍛え抜かれた身体、精力、元気など)が見る側に浸透しているため、新たな役割を背負わせる必要がありません。

それに対して、無名のモデルが起用される場合が非常に面白い点です。見る側に違和感を持たせないためには、広告の舞台背景から推測される登場人物の役割を、見る側が持っている日常の記憶と一致させる必要があります。つまり制作側は、リアリティの説得力を高めるために「現実社会にありそうな状況」として役割を設定し、見る側もその役割を通じて画面の中に現実感を構築しているのです。だからこそ、広告内で男女にどんな役割があてがわれているかが、その時代における「性別らしさ」を表すことにつながると考えられます。

本章では、当時の女性の役割として「家事・育児・仕事をする女性」「美しい妻」「明るく楽しい女性」などが挙げられ、男性の役割として「働く父親」「身だしなみをする男性」などが挙げられています。さらに男女が共演する広告では、両者の関係性に明確なジェンダーの差が表れると分析されています。分析対象の偏りなどについて著者は慎重な注釈を添えつつも、女性の描かれ方の傾向として「若い」「愚か」「支える」という3つの視点を紹介しています。男性は頭脳や知性に価値が置かれ、年齢がマイナスになりにくいのに対し、女性は「若さ」が強調されたり、どこか愚かで男性を支える立場として描かれやすいという指摘です。

現代においても、実生活とはかけ離れた「若い母親像」や、男性のサポート役に留まる女性の姿など、こうした描写が残っている場面を見かけることは確かにあると感じます。一方で、近年ではメディアにおける描かれ方の多様性も大きく広がっているのは事実かなと思うので、今後の動向を見守りたいと思います。


参考 石川弘義・滝島英男 編(2000)『広告からよむ女と男:ジェンダーとセクシュアリティ』雄山閣出版.

Keywords
ジェンダー、広告