コミュニケーションのモデルについて、八代他(2009)で紹介されていた「交流(トランスアクション)モデル」を取り上げたいと思います。

このモデルでは、現実の私たちのコミュニケーションを考える際、送り手と受け手がフィードバックを受けながら単にボールを投げ合う(キャッチボールをする)ような理解だけでは不十分であると指摘されています。その象徴的な例として、「投げたボールが必ずしも意図通りに受け取られるとは限らない」という事例が紹介されています。

それは、日本文化に精通しているとされた元駐日アメリカ大使についての、ある女子学生の次の一言です。

「大使がすばらしかったのは分かっているのですけれど…でも、奥さんはあんまり良い奥さんではなかったようですね。…」

この発言は、大使の肩にフケがついていたことに対するものでした。その背景には「夫がちゃんとした身なりをしていなければ妻の責任である」という文化的な価値観があり、学生はそのこと以外をほとんど覚えていませんでした。つまり、「一片のフケが千の言葉に勝るのである-ある状況、ある文化では。」という現象が起きていたのです。大使にとってフケは意図して投げたボールではありませんが、女子学生はそれを勝手に受け取り、自らの価値観に照らし合わせて解釈したことになります。

このような事例を踏まえると、交流モデルでは「対人レベルのコミュニケーションにおいては、受け手として、あるいは送り手として交互に役割交代をしているというより、互いに相手の意図に関係なく意味を見出しあいながら、自分の意図したことが伝わるように配慮し、コミュニケーションという共同作業に参加している」と捉えるべきだと説明されています。

このモデルに従えば、一見すると脇役のように思えるメッセージの受け手のほうが、むしろコミュニケーションにおいて中心的な役割を果たしているとも言えます。「メッセージが送られたとか、意図があるかないかに関わらず、意味解釈の主体である私たちがそこに意味を見出したときに、すでにコミュニケーションは始まっているのだ」という考え方に接し、私自身もなんだか身の引き締まる思いがします。


参考
八代京子・町惠理子・小池浩子・吉田友子(2009). 『異文化トレーニング:ボーダレス社会を生きる』 三修社.

Keywords
コミュニケーション・モデル