前の記事で紹介した金庫を「金子さん」と表現する事例について、隠語のような言葉遣いがなぜ機能するのか、ひとつの解釈として「協調の原理」とその「4つの格率」、そしてその「違反」が関係していると捉えるのもありかな…などと考えていました。

井上(2015)によれば、協調の原理とは「人間は基本的に互いに協調し合って会話をしている」という前提に立つ考え方です。この原理には、以下の4つの格率(ルール)が含まれます。

量の格率:必要な分だけ情報を伝えること
質の格率:真実を伝えること
関連性の格率:関連のある内容を伝えること
様態の格率:簡潔かつ明確に、順序立てて伝えること

これらは道徳律のように絶対守らなければならないものではありません。実際、人は無駄に長く話すこともありますし、時には嘘をつくこともあります。ただ、基本的にはこれらの格律が守られているという前提のもとで言葉を発し、理解しようとするからこそ、言外の意味や間接的なメッセージが相手に伝わると考えられています。

こうした会話の状況に依存して生まれる含意は「会話の含意」と呼ばれ、「一般的な含意」と、意図的な格率違反によって生じる「特定化された含意」の2種類が存在します。

井上(2015)の例を挙げると、たとえば「一郎は駅に行って、切符を買った」という発話があります。このとき、聞き手は様態の格率に従い、言葉としては表現されていなくても「一郎が切符を買ったのは別の場所ではなく、そのとき行った駅である」と推測できます。また、話された順番通りに「駅に行ってから切符を買った」という時系列の出来事として捉えることもできます。これが「一般的な含意」の例です。

一方で、あえて格率を破ることで意味を生み出すケースもあります。子連れの母親同士の以下のような会話を考えてみましょう。

A:Let’s get the kids something.
B:Okay, but I veto I-C-E C-R-E-A-M-S.

ここでBが単語をあえて一字ずつ綴りで答えているのはなぜでしょうか。簡潔に「ice creams」と答える方が様態の格率には沿っていますが、Bはあえてそのルールに違反しています。それでも二人の間で協調の原理自体は保たれていると考えると、その背景には「『アイスクリーム』という単語を直接口にすると、子どもたちが欲しがってしまう」という事情があることが分かります。Bはこの格率違反を利用することで、「アイスクリームはダメ」という事実だけでなく、「その言葉を口にすること自体がNGである」というニュアンスまで暗に伝えているのです。


参考
井上逸兵(2015)『グローバルコミュニケーションのための英語学概論』慶應義塾大学出版会.

Keywords
協調の原理、含意