後期の授業で「開放系言語学」を取り上げる予定があり、唐須教光先生の『開放系言語学への招待―文化・認知・コミュニケーション』の「はじめに」を読み返してみました。

ヒトは哺乳類や霊長類(チンパンジーと99%の遺伝子を共有する)と多くの共通点を持つ動物界の一員ですが、人間に固有の「文化」を持つことで、他の動物にはないスピードで変化してきました。本書では「文化を持つことによって、進化的な速度での変化から、歴史的な速度での変化に変化のスピードアップを果たした」と述べられています。これは、祖先が達成した地点から文化的な伝達を始められるという「累積的な効果」によるものであり、それを可能にした大きな要因が「言語」です。

ヒトが言語能力を獲得した背景には、完全ではないものの「直立二足歩行」を開始したことがあります。手足を自由に使って重い脳を支えられるようになったことや、手を使う動作が脳を活性化させたこと、さらに分節言語に必要な発声器官を持つ口腔構造が形成されたことなどが挙げられます。

また、どれほど原始的な生活を営む人々の言語であっても、英語や日本語と同じように発達した言語を持っています。「この世界に現存する全ての言語は、記号的な完全さにおいて差異がない」ということは、どんなに未開に見える社会であっても、そこで生きていくための人間関係は私たちと同じように複雑であるということです。ゆえに、言語の研究は人間の研究そのものであり、「言語とは何かを問うことは人間とは何かを問うことと同義である」と言えます。

こうした視点を踏まえて言語研究の歴史を振り返ると、19世紀の歴史言語学やアメリカの構造主義言語学(記述言語学)では、言語は客観的な「もの」や独立した記号体系として扱われていました。しかし1950年代、チョムスキーによって「言語とは人間の脳の中にある創造的な装置であって、その能力は人間という種に固有な生得的なものである」という考えが提示され、言語研究の中に「人間」が復活することになります。その能力の証拠として、ピジンを母語とする子どもたちが不完全なデータから自然言語に近い形式を持つクレオールを作り出す現象などが挙げられます。

しかしその後、チョムスキーの理想的な発話環境を想定するモデルでは「言語が変化する」という事実を説明できないことが判明していきます。生物と同じように言語も変化しなければ生き残れませんが、その変化は突然変異的ではなく徐々に起こります。「その変化を共時的に見出すことをしたのが社会言語学の一つの大きな貢献」であり、変化とは共時的な変種が徐々に勢いを増し、多数派に使用されていくプロセスを指します。言語の変異も社会的な変数によってある程度予測できることが明らかになり、ここでは「多様性こそが言語の本質」だと捉えられます。

「言語を使う能力は単に、『今』『ここ』に縛られないだけでなく、いろいろな角度からものを見ることを可能にしてくれるという意味で、現実から自由にしてくれるのである。われわれは言語を獲得したことによって、客観的に存在する現実とは違った別の世界を獲得した。これこそがわれわれが言語を創造的に使用していることの証であると言っていいだろう。」

最後に、「開放系」という言葉について次のように締めくくられています。

「言語学は、特に統語論の分野において言語と言語学の自律性を旨として今日その学問としての地位を築いてきた。しかし、その一方で、特に意味論、語用論、社会言語学などの分野は、これまで言語哲学、人類学、認知科学、社会学など、いわば外部からの知見によって発展を遂げてきた面が大きい。もし言語学が人間の学を志向するなら、このさまざまな人間の営みに関わる叡智に対しても常に『開放』的であることは必須のことになろう。人間の営みそのものが『開放系』であることは明らかであるのだから。」

読み返し、改めて胸が熱くなりました。


参考 唐須教光(2008).『開放系言語学への招待―文化・認知・コミュニケーション』. 慶應義塾大学出版会.

Keywords
開放系言語学、チョムスキー