シンポジウムでの八木橋宏勇先生のお話を受けて、宇野(2021)の論文を読みました。認知言語学でよく見かけるキーワードについて、改めて学び考える良い機会となりました。
認知言語学の誕生についてですが、チョムスキー(Chomsky 1957, 1965)の生成文法は、言語を他の能力から区別し、文を組み立てる計算能力(統語論)を意味から切り離すことで、人間が生得的に持つ少数の規則を見つけ出そうとするアプローチでした。いわば「極小主義的」「還元主義的」「トップダウン的」な性質を持つものです。しかし1980年代半ば以降、心を単なる機械や計算機とみなすのではなく、人間の主観性と言葉との関わりに着目し、文の規則と意味の結びつきを探求する人々が現れました。これが認知言語学の始まりです。こうした認知言語学は、生成文法とは対照的に「極大主義的」「非還元的」「ボトムアップ的」な性質を持つ(Langacker, 1988)と説明されており、シンポジウムでもそのマキシマリストとしての側面が触れられていました。
宇野先生は、心を機械と捉える立場から「心と身体は切り離せない」とする立場へ転換したことで、言語の持つ過剰性を切り捨てない理論が生まれたと指摘されています。その具体的な研究対象の一つとして挙げられているのが「動機づけ(Lakoff, 1987)」です。この「動機づけられている」状態とは、全くの恣意的でもなければ、完全に予測できるものでもない状態を指します。例えば「本」という助数詞は、もともと鉛筆のような細長いものを数える時に使いますが、「ヒットを2本打つ」「論文を3本書き上げる」といった表現にも広がっています。たしかに軌道や執筆プロセスのイメージなど、細長さに関連する理由は考えられるものの、必ずしも「本」で数えなければならない必然性があるわけではありません。自然言語に見られるこうした奇妙さやゆるい動機づけは、人間のカテゴリー形成における「無駄」や「余剰」とも表現され、これこそが言語の習得や運用を助けているのだと書かれています。
ここまでうんうんと楽しく読み進めていてふと気づいたのですが、実は以前にもこの論文を読んだことがありました。第5節の「遊び心から生まれる新しい語」を参考にしていたものです(#32 少し残酷な言葉遊び)。とにかくシンポジウムでも、こうした余剰性や過剰性、揺らぎといったテーマが、形を変えて繰り返し扱われていたように感じます。一度読んだだけでは自分の中に定着していないことを実感したため、時にはこうして読み返す時間も取りながら、学びを深めていきたいと思います。
参考
宇野良子. (2021). 認知言語学から考える言葉の生命性. 認知科学, 28(2), 242-248.
Chomsky, N. (1965). Aspects of the theory of grammar. MIT Press.
Lakoff, G. (1987). Women, fire, and dangerous things: What categories reveal about the mind. University of Chicago Press.
Langacker, R. W. (1988). A usage-based model. In B. Rudzka-Ostyn (Ed.), Topics in cognitive linguistics: Current issues in cognitive linguistic theory (pp. 127–161). John Benjamins. http://dx.doi.org/10.1075/cilt.50.06lan
Keywords
認知言語学, 動機付け