朝日新聞の「メディア空間考」という記事で興味深いお話があったのでここに書き留めておきたいと思います。

記事の中で取り上げられていたのは「サプリメント」という言葉です。実は法律上の定義はなく、多くの人が錠剤やカプセル剤を思い浮かべる一方で、最近ではグミやチョコのサプリも登場しています。私自身も、体に良い栄養素が入ったものかな、というぐらいの認識でいました。

しかし、まだ記憶に新しい小林製薬の紅麹サプリによる健康被害をきっかけに規制強化が進み、先日、消費者庁の部会でサプリの定義が大筋でまとまったそうです。その内容によると、通常の食事による栄養摂取や生理機能調節の補助が目的とされる食品で、「成分の濃縮」「錠剤、カプセル剤、液剤など摂取しやすい形状」「過剰摂取のおそれがある」という3条件のいずれかに該当するもの、とされています。これを見て、サプリメントという言葉の裏にはこんなに複雑な実態があったのだと驚きました。

特に記事の中で強く共感したのが、「物事に名前が付いてイメージができあがると、その名を使うだけで分かったように思わせることができる。よくよく考えると、実態はぼんやりしているのに」という言葉です。名前が付くことで、そこからこぼれ落ちてしまう複雑な部分が見えなくなってしまうことに、一種の怖さのようなものを感じます。

この話に触れて、最近読んでいる村上靖彦さんの著書『生き延びるための会話』に出てくる「エビデンス」という言葉を思い出しました。これもどこか通じるものがあるように思えます。

エビデンスは一般的に根拠という意味で使われていると認識していますが、最近はその本来の意味以上に言葉だけが一人歩きしている印象があります。以前、私が勤めていた大学でも、年度末の教員評価で「エビデンスを記入しなさい」と指示されることがありました。研究成果であれば論文や発表という分かりやすいエビデンスが出せますが、「地域への貢献」「大学への愛着度」といった内容に対して、一体何をエビデンスとすればいいのかと疑問に思った記憶があります。

村上氏の本の中で興味深かったのは、そもそもエビデンスという言葉がここまで流行した背景には「会話不足」がある、という指摘です。育児に対する不安を誰かと共有できている人と、そうではない孤立している人とでは、後者の方がより強くエビデンスを求める傾向にあるのだそうです。つまり、効率が求められる社会の中で、孤立して言葉を交わす相手がいないことこそが、エビデンスを過度に重視する社会を生み出しているという背景が見えてきます。

「サプリメント」から少し話が逸れてしまったようにも思えますが、どちらの言葉からも、私たちが普段何気なく使っている言葉の意味を、その言葉が生まれた背景や今の時代の文脈の中で、もっと動的に捉え直す必要があるのではないかなと思わされました。


参考
大村美香「メディア空間考 サプリとは何か 言葉のすっきり感が覆う実態」『朝日新聞』2026.6.23
村上靖彦(2026)『生き延びるための会話:他者と生きることの哲学』SBクリエイティブ(SB新書)

Keywords
名前