昨日の続きで、ナラティブとソーシャルメディアの関係について言及されている論文はないかと色々と探っていました。ある研究論文では、母親の育児経験談といった「語り」を扱うソーシャルメディア研究が欧米に数多く存在することを指摘し、それらの先行研究をレビューしています。

その論文によると、2005年から2015年の間に「マミー・ブログ」は社会現象として多くの関心を集めたそうです。母親が自身の経験について自らの言葉で語ることや、多様な育児経験が共有されることが評価される一方で、こうした発信が女性たちをオンライン上の家庭領域に押し込んでしまう危険性なども論じられています。

また、そうしたブログの中には「悪い母親(bad mommy)」を自称するものもあります。ある研究によれば、この「悪い母親ナラティブ」は、母親への過度な期待と実際の母親業の間で生じる摩擦や矛盾を理解しようとする試みであり、一種の生存戦略として位置づけられています。これは「良い母親」の理想が社会で共有されていることを前提としつつも、「完璧ではない母親」という存在を普通化している点において一定の評価が与えられています。

一方で、別の研究では、ブログが母親としての新しい表現のためのプラットフォームというよりも、「長い間保持されてきた母親の性質、アイデンティティ、そして役割に関する規範的な考えに対する表現と葛藤が強化され固定される、新しいプラットフォームとして機能していることを示唆している」と結論づけています。つまり、理想の母親像とは異なった現実を示すことは解放的である一方、理想の母親像そのものを破壊することはできず、結果としてこの母親像を巡る葛藤自体が強化され固定化されてしまうという側面も指摘されているのです。

さらに、Twitter(現X)コミュニティにおける表現についても取り上げられています。育児中のアクシデントやフラストレーションについて、当事者がユーモアをもって語っていても、そのユーモアを解さない読者によって批判され、広く拡散されて「炎上」してしまうリスクがあることも紹介されています。

少しとりとめがなくなってしまいましたが、いま朝日新聞でも「親って、しんどい」シリーズが連載されています。そこでは、子育ての悩みについて「言ってはいけないのではないか」「うまくいっていないのが恥ずかしい」という気持ちから、周囲と共有できなかったという親たちのリアルな声が出てきます。

多くの人に共通する経験であったり、絶対の決まりがない子育てだからこそ、社会の中に暗黙の理想像ができあがり、それが共有されたり、あるいはそれに対抗する新たな語りとして紡ぎ出されたりしているのだろうかと、あれこれと思いを馳せる時間となりました。


参考
比嘉麻理. (2026). ソーシャルメディアが現代の母親に与える影響: フェミニズム視点による欧米の研究動向. 研究論集, 25, 297-320.

Keywords
ナラティブ、規範