津田(2001)では、説得的談話の機能について、次のように説明されています。

「言語は、話し手の経験や意図などを伝えることによって、聞き手から何らかの反応を引き出し、相手の行動や態度を変化させ、その結果、その行動世界を新たに作り変えようとすることもある 」

具体例として挙げられているのは、政局演説会での所信表明、裁判所での相互作用、教会での説教などです。いずれも、単に情報を伝えるのではなく、相手の考え方や態度に働きかけることを目的とした談話です。

章の中で詳しく分析されているのは、日本とアメリカのカトリック教会における復活祭の説教です。私自身、ミッション系の学校に通っていた経験があり、司祭の話を聞く機会は少なくありませんでした。そのため、日本の説教の特徴については、なるほどと頷きながら読みました。

津田によれば、日本の説教は、キリストの復活という大きな出来事を、ヨハネ福音書を中心に丁寧に読み解いていく、テキスト依存的な構造をもっています。始まりから終わりまで聖書解釈に軸足を置き、中心テーマは、聖パウロの言葉を借りれば「この地上のものではなく、上にあるものに心を向けなさい」という呼びかけに集約されます。「キリストを探し続けること」「神の神秘を生き続けること」が核となり、信仰の姿勢を内面的に深める方向へと聴衆を導いていきます。

一方、アメリカの説教では、「よろこびとは何か」という問いかけから始まります。中心テーマは「内的なよろこび」です。聖書からの直接引用はあまり多くなく、聖書の箇所を司祭自身のことばで語り直します。さらに、聴衆にとって身近で関心のある歴史的出来事などを例に挙げることもあります。テキストを丁寧に解読するというよりは、そこから導かれる意味を、より個人的で具体的な文脈へと引き寄せていく印象です。

こうした違いの背景として、キリスト教に対する前提の差も指摘されています。アメリカ社会においては、イエズスの復活はキリスト教信条の中核であり、復活祭はその核心を改めて問い直す機会として位置づけられている、という前提が共有されている可能性があるというのです。

津田は、アメリカ人司祭の特徴として、主観的な解釈を積極的に盛り込み、ダイナミックな信仰の姿勢を説教に反映させている点を挙げています。

同じ「復活祭の説教」というジャンルであっても、語りの構造や説得のあり方はこれほど異なる。説得的談話とは、単なる論理の問題ではなく、社会的前提や語り手の立ち位置、そして聴衆との関係性が織り込まれた営みなのだと、改めて考えさせられました。


参考
津田葵. (2001). コミュニケーションの日米比較. 大阪大学出版会.

Keywords
説得、対照分析