春休みの合間に途切れとぎれに大事に読んでいた一冊。読了の寂しさに新年度が始まる独特の感が混ざり胸がざわざわしております。
理解の一致とか共通基盤の構築とか、それがどのように達成されるのだとかに目を向けがちな言葉の研究に、省みる機会をくれるような一節。
「…理解するとは、合意とか合一といった実質をともなうものではなく、分からないままに身をさらしあうプロセスなのではないかとおもえてくる。一致よりも不一致、それを思い知ることこそが、理解においては重要な意味を持つ、と。」
また、学びを支えるものとして、
「学ぶというのは、じぶんの知らないことを知るということだ。じぶんが砕け散るという体験なくして「学ぶ」などということはありえない。まっすぐ逸れなく進むというのではなく、躓く、揺れる、迷う、壊れる…ということ、「学び」はそこからしかはじまらない。」
最後には、「ため」がキーワードとなる章がちらほら…
「ひとびとの関係にもっともっとためがないと、社会はきしみばかりが耳につく「不通」の社会になってしまうとおもう」
「思考にためがなくなったということなのだろうか。…私たちが失いかけているのは「話しあい」などではなく「黙りあい」ということなのだろうか。」