[{"content":"前回の記事に続きナラティブの影響力を感じたお話ですが、9月5日の朝日新聞朝刊の「不満・分断、あおる認知戦」という記事についてです。\nきたる沖縄県知事選に向けて、SNS上でのナラティブ（物語）の拡散に対して警戒感が高まっているという内容でした。その背景には、近年、国内外の大きな選挙において「外国勢力がSNSなどを通じて世論や投票行動に影響を与えようとする『認知戦』」が仕掛けられていることがあります。\n認知戦とは「ある国が他国の人々の思考や感情を揺さぶり、投票行動や意志決定に影響を与えようとする行為」のことです。その手段として、すでにSNSやネットなどで広まっているナラティブを利用する場合もあれば、偽情報やナラティブを新たに作って組織的に流す場合などもあるそうです。\n沖縄県知事選に関しては、すでに特定の候補者の主張をもとに「琉球が日本に占有され続けるべきではない」などの主張が散見されているとのことでした。記事で示されているのは、そうしたナラティブを、強い拡散力を持ったアカウントが投稿し始めることへの懸念です。\nそれらのアカウントの過去の投稿を見ると、日本語の投稿の一部に不審な点が認められる（日本語とは別の字体が混在している）ケースもあるとのことでした。この記事を読んでいて、改めてその背後にある発信者の存在や、発信の背景にまで想像力を働かせる必要があると強く感じさせられました。\nさらに、こうした他国の介入（たとえば、ロシア企業が大量のSNSアカウントを駆使してトランプ氏を支持するように世論を誘導した例など）は、生成AIの登場によって拡大しています。「多言語による文章や画像の生成だけでなく、情報工作の企画、ターゲットの分析」まで可能になったということで、ますます警戒しなければならない事案となっています。\n❤️ いいね 0 参考\n2026年9月5日 朝日新聞 朝刊 不満・分断、あおる認知戦　ＳＮＳ上で「物語」拡散→他国の投票行動へ影響　沖縄知事選にも警戒感 https://www.asahi.com/articles/DA3S16540385.html\nKeywords\nナラティブ, ソーシャルメディア\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/394/","summary":"\u003cp\u003e前回の記事に続きナラティブの影響力を感じたお話ですが、9月5日の朝日新聞朝刊の「不満・分断、あおる認知戦」という記事についてです。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003eきたる沖縄県知事選に向けて、SNS上でのナラティブ（物語）の拡散に対して警戒感が高まっているという内容でした。その背景には、近年、国内外の大きな選挙において「\u003cmark\u003e外国勢力がSNSなどを通じて世論や投票行動に影響を与えようとする『認知戦』\u003c/mark\u003e」が仕掛けられていることがあります。\u003c/p\u003e","title":"#394 危険なナラティブ"},{"content":"久保田他（2026）の日本認知科学会の大会論文集を読みました。\n現代の成熟消費社会では、製品の機能以上に意味や体験を伝える「ナラティブ（物語）」の役割が増しているそうです。ナラティブが消費者の情報処理を促し、ブランドとの結びつきを高めることで説得効果を持つ（Escalas 2004）という指摘はとても興味深いと感じます。\nこの研究では、強い物語性を持つ「伝統工芸品」を対象に、広告における「語り手の視点（ユーザー/職人）」と「物語の内容（現在/過去）」が若年層の評価に与える影響を検証しています。\n具体的には、内容として現在の使用場面や体験を描写する「現在ナラティブ」、過去の歴史・伝統・職人の記憶を想起させる「過去ナラティブ」、そして事実を客観的に記述した「客観的記述」の3種類を設定しています。また視点については、受け手の自己参照を促進する一人称の「ユーザー視点」と、贈呈場面などで情報源の信頼性を高める「職人視点」に着目し、それぞれの組み合わせをもとに実験を行っています。\nたとえばタオルハンカチの例では、ユーザー視点×現在ナラティブの文章は「水玉模様の門司織ハンカチを広げる瞬間、気持ちがふっと軽くなる。」といった出だしから始まります。一方で職人視点×過去ナラティブでは、「門司織ハンカチに触れると、工房で糸と向き合った日々が静かに胸に戻る」といった始まり方になります。\n実験結果として面白かったのは、「広告好意度」においてユーザー視点では「客観的記述」および「現在ナラティブ」が「過去ナラティブ」より有意に高くなった点です。「商品好意度」でも同様の結果が得られたとのことでした。\nまた、自分用ではなく贈呈用の購買意図においては、「過去ナラティブ」においてのみ職人視点がユーザー視点を上回る現象も見られたそうです。全体の考察では、「自分用購買ではユーザー視点の親近感が、贈呈用の過去ナラティブ条件では職人視点の専門性・信頼性が、それぞれ評価を高めたと解釈できる」としつつ、「情緒的な過去ナラティブよりも、ユーザー視点の現在ナラティブや客観的記述が購買意図を高める傾向がみられた」と述べられています。\n実際の広告でも、ユーザー視点で「わたし」と表現されているものをよく見かける気がします。\nそういえば先日（8月25日）も、新宿で「わたしとLUMINEの新しい関係。」という広告を見かけました。\n❤️ いいね 0 参考\n久保田由香・大庭秀平・岡田政治・白川直・林邦明・山下優樹・松田憲 (2026). 「ナラティブ性とその視点」が広告の効果に与える影響 日本認知科学会第43回大会発表論文集, O4-03.\nKeywords\n[ナラティブ][広告]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/393/","summary":"\u003cp\u003e久保田他（2026）の日本認知科学会の大会論文集を読みました。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e現代の成熟消費社会では、製品の機能以上に意味や体験を伝える「ナラティブ（物語）」の役割が増しているそうです。ナラティブが消費者の情報処理を促し、ブランドとの結びつきを高めることで説得効果を持つ（Escalas 2004）という指摘はとても興味深いと感じます。\u003c/p\u003e","title":"#393 広告という物語"},{"content":"昨日の朝刊の「楽問のススメ」で、景観・歴史文化環境整備室長を務めていらっしゃる茶谷晋太郎さんのインタビュー記事「景観まちづくり教育」が目に留まりました。2008年度から全国の小中学校で進められているこの教育（2025年度は14都道府県・61件の授業で実施）は、「『景観』を入口に、自分が住む地域に関心を持ち、主体的にまちづくりに参加してほしい」という思いから始まっているそうです。\nその内容は、社会言語学の授業でも応用できそうな、社会との結びつきを感じながら楽しく学べるものでした。たとえば、グループごとに担当の「色」を決めて看板を探して歩き回り、色によって看板の数に違いがあることに気付くことで、それぞれの色の意味や役割を考える授業があります。ほかにも、校歌に出てくる場所を探して地図に落とし込んだり、スケッチをしたり、カルタを作ったりする取り組みも紹介されていました。カルタといえば、群馬の「上毛かるた」は県民の誰もが知っているものだと複数人から聞いたことがあり、羨ましくなるほどの強い連帯感（ソリダリティ）を感じたことを思い出します。\n記事には、「自分の住んでいるまちは、その人から見れば『当たり前』の景色かもしれません。ですが、その景色は先人たちが紡いできた歴史の積み重ねであり、景観そのものに大きな価値があります」と書かれていました。\n景観といえば「言語景観（Linguistic Landscape）」を連想したため、併せて江（2009）を読み直し、その定義をまとめておきたいと思います。\n言語景観研究で扱う「言語景観」は、景観の下位概念にあたる都市景観の中の「書き言葉」を指すものが多く見られます。社会言語学者のLandry and Bourhis（1997）は、言語景観を道路標識、広告看板、地名表示、店名表示、官庁の標識などに含まれる「可視的な言語の総体」と定義しています（バックハウス, 2005）。\n社会言語学において、言語景観は1990年代後半からの約10年間で大きく注目されるようになりました。日本においては、看板の文字体系（漢字やローマ字）の使用傾向と表記法の実態調査をはじめ、地域で目に留まる方言の研究や、東京都内における外国語表示などの「多言語景観」を対象とした研究が進められています。\np.s. 現在、新たなホームページを自力で格闘しながら構築中です。いいねボタンなどもつけてみたりしています。コメント欄は勇気がなく…。これまでの記事もそちらに移行できたらとも思うのですが、それはおいおい。とにかく夏休み中の一つの目標だったので、近日中の公開目指して進めます。\n❤️ いいね 0 参考\nバックハウス・ペーター. (2005). 日本の多言語景観. 真田信治・庄司博史（編）, 辞典 日本の多言語社会 (pp. 53-56). 岩波書店. 江源. (2009). 言語景観研究の現状について. 明海日本語, (14), 67-75. Landry, R., \u0026amp; Bourhis, R. Y. (1997). Linguistic landscape and ethnolinguistic vitality: An empirical study. Journal of Language and Social Psychology, 16(1), 23–49. https://doi.org/10.1177/0261927X97016001002\nKeywords\n言語景観\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/392/","summary":"\u003cp\u003e昨日の朝刊の「楽問のススメ」で、景観・歴史文化環境整備室長を務めていらっしゃる茶谷晋太郎さんのインタビュー記事「景観まちづくり教育」が目に留まりました。2008年度から全国の小中学校で進められているこの教育（2025年度は14都道府県・61件の授業で実施）は、「\u003cmark\u003e『景観』を入口に、自分が住む地域に関心を持ち、主体的にまちづくりに参加してほしい\u003c/mark\u003e」という思いから始まっているそうです。\u003c/p\u003e","title":"#392 景観まちづくり教育"},{"content":"両親がイギリスへ行くということで「地球の歩き方」を読んでいたので、私もパラパラとめくってみました。\n中でも面白かったのがショッピングの心得についてで、無言への耐力や、店員と客の関係性の違いを改めて感じる内容でした。\n１つ目は「Expensiveな話とマナー」というセクションです。\n高い商品に対して「Too expensive.」と言うと「高すぎて買えない」という意味まで含むため、「いらない」と言っているのと同じになってしまうそうです。もう少し安ければ…という思いを込めて配慮するならば、残念そうに「Very expensive.」と言おうと書いてあり、言葉の選択とともに表情の大切さもしのばせます。さらに、ただ見ているだけのときには「I’m just looking.」を使うことや、店に入る時には「Hi.」や「Hello.」などの簡単な挨拶、出る時には「Thank you.」と言いましょうと書かれています。\nそして２つ目の「英語の話」のセクションでは、きっぱりと「『お客様は神様』という感覚はこの国にはない！」と書かれていて面白いなと思いました。要求したいことはどんどん言って、店員が英語でまくしたてようが気後れするなかれと書かれています。\n「カタコト英語に身振り手振り、自分の意思を堂々と表現するのが『成功するショッピング』への第一歩」ということで、両親の戦利品が楽しみだと思いました。\n❤️ いいね 0 参考\n地球の歩き方編集室.（2024）.『A03 地球の歩き方 ロンドン 2025〜2026』地球の歩き方.\nKeywords\nポライトネス\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/391/","summary":"\u003cp\u003e両親がイギリスへ行くということで「地球の歩き方」を読んでいたので、私もパラパラとめくってみました。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e中でも面白かったのがショッピングの心得についてで、無言への耐力や、店員と客の関係性の違いを改めて感じる内容でした。\u003c/p\u003e","title":"#391 お客様は神様ではない"},{"content":"朝日新聞で掲載されていた、今井むつみ先生の記事「生成AI、学びにどういかせば？」を読みました。\n特に印象的だったのは、生成AIには見られない人間ならではの創造性についてです。記事の中では、そのプロセスの根幹として「アブダクション推論」という概念が紹介されていました。\nこれは赤ちゃんや子どもが言葉を獲得するプロセスを見ると非常にわかりやすく、記事に挙げられていた事例がとても面白かったです。例えば、2才の子どもがおやつのイチゴを前に、コンデンスミルクを指して「いちごのしょうゆちょうだい」と言ったそうです。この発言から、子どもは「しょうゆもコンデンスミルクも、食べ物にかけておいしくする液体である」という共通点に気づいていることが分かります。ただ、コンデンスミルクという名前を知らないため、知っている言葉を組み合わせて「いちごのしょうゆ」と表現したのです。\nこのときの大人の返答も非常に重要です。「ああ、コンデンスミルクが欲しいのね」と声をかけながらイチゴにかけることで、子どもはそこで新しい言葉を自然と覚えていきます。このように仮説を立て、間違うからこそ学びとなり身につくという過程は、大人になってからの学びの本質とも変わらないと言われています。\nこの「アブダクション推論」とは、断片的な情報から間違っているかもしれない仮説を立て、それを吟味・検証するプロセスを指します。推論し、間違え、それを修正することの連続こそが、人間ならではの新たな知を創造するのだと実感させられました。\n記事の後半では、生成AIをうまく活用した「アブダクション英語学習法」についても触れられていましたが、こちらは今井先生のご著書をじっくり読んでから、改めて学びを深めてみたいと思います。\n❤️ いいね 0 参考\n（いま聞く）今井むつみさん 認知心理学者 生成ＡＩ、学びにどういかせば？ https://www.asahi.com/articles/DA3S16538020.html\nKeywords\nアブダクション推論\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/390/","summary":"\u003cp\u003e朝日新聞で掲載されていた、今井むつみ先生の記事「生成AI、学びにどういかせば？」を読みました。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e特に印象的だったのは、生成AIには見られない人間ならではの創造性についてです。記事の中では、そのプロセスの根幹として「アブダクション推論」という概念が紹介されていました。\u003c/p\u003e","title":"#390 いちごのしょうゆ"},{"content":"デジタルコミュニケーション研究会から刊行されている『デジタルメディアの言語研究』の第1章、デジタルメディアの言語研究の位置づけについて興味深く拝読しました。\n本書では、デジタルコミュニケーションが、流行語や若者言葉、スラングといった新奇で非規範的な言語現象をはじめ、新たなコミュニケーション様式が次々と立ち現れる魅力的な場であると述べられています。\n第1章の記述に目を向けると、ネットスラングには語や句レベルの表現が多い一方で、節（文）や会話レベルで特定の意味や機能を持つものもあるとされています。そうした現象について意味論的・語用論的特徴を分析するためにも、部門横断的なアプローチを行うことが望ましいと説明されています。\n社会言語学の観点では、個別言語は均一なものではなく、地域差や社会属性、使用場面ごとに「変種」が存在することが知られています。デジタルメディア上の言語には、そうした独自のさまざまな変種が混在しているという特徴があります。また、近年ではオンライン上のコンテンツの普及と多様化によって、プラットフォームやアプリケーションごとに異なる言語表現が用いられることもあるため、単一の言語変種とは言い難いという指摘もなされています。そ\nのうえで、研究を進める際には、どのようなサイトやサービスで、またどのような属性の集団に使用されているのかを調査し、明確にすることが求められている点についても触れられています。\n❤️ いいね 0 参考\nデジタルコミュニケーション研究会（編）. (2026). デジタルメディアの言語研究. ひつじ書房.keywords [デジタルコミュニケーション] [メディアの違い] [メディア]\nKeywords\n[デジタルコミュニケーション]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/389/","summary":"\u003cp\u003eデジタルコミュニケーション研究会から刊行されている『デジタルメディアの言語研究』の第1章、デジタルメディアの言語研究の位置づけについて興味深く拝読しました。\u003c/p\u003e","title":"#389 デジタルコミュニケーションについて"},{"content":"田中（2008）では、「みんなのクチコミサイト」のクチコミ調査を通じて、不特定多数の受け手を想定したコミュニケーションにおいて、書き手がどのような言語形式を用いて配慮の意識を表すのかを明らかにしようとしています。\n田中によれば、不特定多数に向けたコミュニケーションにおける配慮表現の研究は、ウェブ日記を対象とした岸本（2005）を除くと、ほとんど行われていないのが現状です。分析の視点としては、携帯メールの配慮意識を調査した三宅（2003）や先の岸本（2005）が挙げられており、文末の丁寧度、句点の省略、終助詞「カ・ネ・ヨ」の使用、文末伸ばし、絵記号の種類、追加説明、自称詞、メタ言語といった項目が挙げられています。\n田中（2008）自身の研究では、スピーチレベル（丁寧体や普通体など）、終助詞、文末記号、接続助詞「ガ」に着目し、世代別（20代と40代）、投稿媒体（PCと携帯）、評価の違い（高評価と低評価）による変化を分析しています。\nスピーチレベルに関しては、全体として丁寧体の使用率が高いものの、20代は40代よりも普通体を多く使用する傾向が見られました。媒体による違いでは、携帯からの投稿の方が「省略」が多く使われています。また、高評価の投稿では「体言止め」が多く見られる一方で、低評価の投稿では「効果があるのかもしれないけど、泡立ちが良くないのと、匂いがちょっと。」や「旦那は何もないのに…」といった「省略」が多く見られました。これらは、他の投稿者などに対する書き手の配慮のあらわれと考えられています。\n終助詞については、高評価の投稿で「ネ」や「ヨ」の使用率が高く、低評価の投稿では「カ」が多く使われていました。さらに、低評価の投稿では「泡パックも1分程度試みましたが…」のように、文末の接続助詞「ガ」が多く用いられる特徴が見られました。\n文末記号に関しては、「句点」が多く用いられており、特にPCからの投稿や40代の書き手に句点で文章を終える傾向が強く見られます。一方、携帯からの投稿では記号や顔文字が多く使われていました。なお、評価の高低による文末記号の顕著な差は見られませんでした。\nこれらの分析から、丁寧体や句点といった一般的な他人への配慮に則った表記が多い一方で、世代や投稿媒体、評価の高低に応じて、省略や逆接の接続助詞「ガ」などを用いることで、読み手の共感を得たり様々な立場の読み手を気遣ったりする配慮がなされていることが明らかになりました。\n❤️ いいね 0 参考\n田中弥生, \u0026amp; 独立行政法人. (2008). クチコミサイトにおける世代別・媒体別言語表現の分析. 言語処理学会第 14 回年次大会 (NLP2008) 予稿集, 911-914.岸本千秋 (2005) 「ネット日記における読み手を意識した表現 ―公開意識との関連から―」 『メディアことば 2 [特集]組み込まれるオーディエンス』 pp.204-231 ひつじ書房.三宅和子 (2003) 「対人配慮と言語表現 ―若者の携帯電話のメッセージ分析―」 『文学論藻』 77 (東洋大学文学部紀要 56) pp.207-176 (16-47).keywords [ポライトネス]\nKeywords\n[ポライトネス]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/388/","summary":"\u003cp\u003e田中（2008）では、「みんなのクチコミサイト」のクチコミ調査を通じて、不特定多数の受け手を想定したコミュニケーションにおいて、書き手がどのような言語形式を用いて配慮の意識を表すのかを明らかにしようとしています。\u003c/p\u003e","title":"#388 クチコミに見られる配慮"},{"content":"8月31日朝刊の「つながり細る沖縄、自治を作り直す起点に 古波蔵契さん」という記事を読みました。\n記事の中では、沖縄社会の変化として「政治や基地問題での連帯のゆらぎ、人々のつながりの希薄化、情報空間の分断」が言及されていました。本土に比べると政治的問題を抱えており、「何か問題が起きれば一つにまとまり声をあげるという政治文化は本土よりある」と述べられています。しかし、県民間のつながり意識が希薄化している要因として、東京科学大学の古波蔵契氏が情報環境の変化について述べている箇所がとても印象的でした。\n「テレビやラジオが居間にしかなければ、一緒に見ている家族の意見は聞かざるを得なかった。しかし、1人に1台スマホの時代になり、気に入らない意見はノイズとしてミュートできるようになった。結果タコつぼ的な言論空間が散在し、互いに交わらない状況が生まれている。同じ県民でも、全く違った世界を見ていると思います。」\nこれは決して沖縄に限らない問題だと思いますし、沖縄でそうであるなら、いわんや東京もや、という気持ちになりました。\nちなみに、本日からゼミ合宿で軽井沢に来ています。こちらは少し寒いぐらいの気候です。\n❤️ いいね 0 参考\nhttps://www.asahi.com/articles/DA3S16536515.html\nKeywords\n[マスメディア]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/387/","summary":"\u003cp\u003e8月31日朝刊の「つながり細る沖縄、自治を作り直す起点に 古波蔵契さん」という記事を読みました。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e記事の中では、沖縄社会の変化として「政治や基地問題での連帯のゆらぎ、人々のつながりの希薄化、情報空間の分断」が言及されていました。本土に比べると政治的問題を抱えており、「何か問題が起きれば一つにまとまり声をあげるという政治文化は本土よりある」と述べられています。しかし、県民間のつながり意識が希薄化している要因として、東京科学大学の古波蔵契氏が情報環境の変化について述べている箇所がとても印象的でした。\u003c/p\u003e","title":"#387 ミュートできる社会"},{"content":"田中（2013）は、良い評価をしている口コミと悪い評価をしている口コミには、談話構造において異なるパターンが存在することを指摘しています。\nこの研究における構造の分析方法は非常に興味深いものです。詳細は省きますが、具体的にはテクストを基節単位で分割したのち、発話機能（基本的には情報提供を指す「命題」）、中核要素（状況内、状況外、定言要素）、そして現象定位（メッセージによって表現されている出来事がいつ起こったかを、伝達時を基準とした時間的要素）を組み合わせて修辞機能を特定していきます。たとえば、「命題×状況内×現在」であれば「実況」や「自己記述」になり、「×過去」であれば「状況内回想」、「×未来」であれば「計画」といった形に分類されます。\nさらに面白いのが、これに応じて1から14段階で出される「脱文脈化指数」です。これは、中核要素の「here（ここ）」の程度と現象定位の「now（いま）」の程度によって、近いものから遠いものまで修辞機能を線上に示した際の指数を指します。数値が低ければ個人的・特定的であり、大きければ一般的・汎用的であることを示します。\n分析の結果として、高評価と低評価の口コミでは、開始・終了メッセージの修辞機能および脱文脈化指数に明確な違いがあることが明らかになっています。\nたとえば高評価の開始メッセージでは、「体洗いに使っています」「何個もリピしてます！」といった自己の習慣を述べる「自己記述」や「実況」が多く見られます。一方、低評価の開始メッセージでは商品の使用が過去のこととなっているため使いにくく、開始・終了ともに「ダメでした」「あいませんでした」「泡立ちはよかったんですけどね」「使用中止しました」といった「状況内回想」が多く見られます。また高評価の終了メッセージでは、今後もリピートするという「計画」がパターンとして現れます。\nまた、脱文脈化指数の広がりにも差があり、高評価では指数の差が7〜8程度あるのに対し、低評価では1〜2にとどまることが多いとのことです。論文内では直接触れられていませんが、高評価の口コミのほうがメッセージ数も多く、内容に緩急があるということかもしれません。感覚的にも非常に納得のいく興味深い研究結果だと感じられます。\n❤️ いいね 0 参考\n田中弥生. (2013). 評価の高低によるクチコミサイト 「アットコスメ」 における談話構造の特徴―修辞ユニット分析を用いて―. 神奈川大学言語研究, 35, 1-23.佐野大樹・小磯花絵（2011）「現代日本語書き言葉における修辞ユニット分析の適用性の検証－「書き言葉らしさ・話し言葉らしさ」と脱文脈化言語・文脈化言語の関係－」『機能言語学研究』6, 59－81.keywords [修辞機能][談話構造]\nKeywords\n[修辞機能]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/386/","summary":"\u003cp\u003e田中（2013）は、良い評価をしている口コミと悪い評価をしている口コミには、談話構造において異なるパターンが存在することを指摘しています。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003eこの研究における構造の分析方法は非常に興味深いものです。詳細は省きますが、具体的にはテクストを基節単位で分割したのち、発話機能（基本的には情報提供を指す「命題」）、中核要素（状況内、状況外、定言要素）、そして現象定位（メッセージによって表現されている出来事がいつ起こったかを、伝達時を基準とした時間的要素）を組み合わせて修辞機能を特定していきます。たとえば、「命題×状況内×現在」であれば「実況」や「自己記述」になり、「×過去」であれば「状況内回想」、「×未来」であれば「計画」といった形に分類されます。\u003c/p\u003e","title":"#386 口コミのパターン"},{"content":"本日の朝日新聞の記事「増えるフランス語話者、3億9600万人に」がとても興味深かったのでまとめておきます。\n記事によると、過去15年でフランス語話者は1.8倍に増えて3億9600万人に達したそうです。この背景にはアフリカの国々の存在があり、2050年には話者の9割がアフリカに暮らすという予測も出ています。アフリカでは西部や中央部を中心に教育、行政、ビジネスなどの公的な場で広く使われており、進学や就職にも欠かせない能力となっています。\n最近では反フランスの意識からマリやニジェールなどで公用語から外す動きが見られ、他国の台頭によってフランスの影響力自体は相対的に下がってきています。それでも、人口増加や都市化、就学率の向上がフランス語話者の増加を強く後押ししているようです。\nまた、文学や思想などの歴史的な蓄積により、言語の規範や権威としての中心はフランスに残り続ける一方で、今後は音楽や映画などアフリカ発のフランス語文化が世界的な存在感を高めていく可能性も指摘されています。人口増加と経済成長が見込まれるアフリカにおいて、フランス語は企業活動の観点からも将来性が高い言語として注目されているようです。\n❤️ いいね 0 参考\n2026年8月20日. （今さら聞けない世界）増えるフランス語話者、３億９６００万人に　佐藤章さんhttps://www.asahi.com/articles/DA3S16536350.html\nKeywords\n[規範]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/385/","summary":"\u003cp\u003e本日の朝日新聞の記事「増えるフランス語話者、3億9600万人に」がとても興味深かったのでまとめておきます。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e記事によると、過去15年でフランス語話者は1.8倍に増えて3億9600万人に達したそうです。この背景にはアフリカの国々の存在があり、2050年には話者の9割がアフリカに暮らすという予測も出ています。アフリカでは西部や中央部を中心に教育、行政、ビジネスなどの公的な場で広く使われており、進学や就職にも欠かせない能力となっています。\u003c/p\u003e","title":"#385 フランス語のこの先"},{"content":"本日は赤坂のラウンジのような雰囲気のある場所で勉強会に参加してきました。本編は日本史の話だったのですが、冒頭で出された「ファスナー」「チャック」「ジッパー」の違いについての質問がとても面白かったのでメモしておきます。\n衣料メーカーYKKのページによると、これらはすべて同じものを指しており、歴史や語源によって呼び名が異なるそうです。\nファスナー：1891年にアメリカで靴紐を結ぶ手間を省くために考案されたのが始まりで、「しっかり留める」という意味の英語「fasten」が由来です。ジッパー：1921年頃、閉めるときの「シューッ」という擬音（zip）からアメリカで定着した呼び名です。チャック：1927年に日本で「巾着（きんちゃく）」をもじって「チャック印」として販売されたことがきっかけで広まりました。\nまた世界に目を向けると、中国語では「ラーリェン（引っ張る鎖）」、フランス語では「フェルメチュール・ア・グリシェール（滑らせて閉じる留め具）」、中米では比喩表現として「シェレス・レランパゴス（稲妻）」と呼ばれているそうです。\nYKKの記事でも触れられていましたが、ファスナーが世界中で愛され、それぞれの土地でユニークな名前が付けられているのはとても興味深いです。勉強会のあとは、会場の雰囲気を活かしてカラオケも存分に楽しみ、充実した一日となりました。\n❤️ いいね 0 参考\nVol.1 「ファスナー」と「チャック」と「ジッパー」の違いhttps://www.ykk.com/ykk/mame/fas_01.html\nKeywords\n[名づけ]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/384/","summary":"\u003cp\u003e本日は赤坂のラウンジのような雰囲気のある場所で勉強会に参加してきました。本編は日本史の話だったのですが、冒頭で出された「ファスナー」「チャック」「ジッパー」の違いについての質問がとても面白かったのでメモしておきます。\u003c/p\u003e","title":"#384 チャックの由来"},{"content":"昨日の論考を受けて、フェアクラフ（2012）の「前提」についての箇所を読み直してみました。\nテクストには「That\u0026rsquo;s wonderful!」や「excellent!」のような明示的な評価が含まれることもありますが、多くの評価はむしろ「前提」として提示されます。この前提は暗示性とも深く関わっており、社会的に見ても非常に重要な特性だとされています。\nフェアクラフは、次のように指摘しています。\n「あらゆる形態の団体、共同体や団結は、共有され、所与のものとみなされうる意味に依存し、また、何らかのそのような『共通の基盤』なしでは、社会的コミュニケーションや社会的相互行為を想像することはできない。他方で、社会的権力、支配およびヘゲモニーを行使する能力には、この『共通の基盤』の性質や内容を、相当な程度まで構築する能力が含まれている。したがって、暗示性と前提が、イデオロギーに関わって、重要な問題となる。」\n昨日は言語的な引き金を伴う例を取り上げましたが、前提は必ずしもそうした言語的トリガーを伴うとは限りません。読者自身が持つ知識や、テクストの背景にある価値体系への認識に基づいて解釈することが可能だからです。重要なのは、私たちがその前提を必ずしも受け入れる（同意する）必要はなくとも、存在として認識することはできる点です。\nこのようにテクストを価値の観点から読み解くプロセスは、価値体系に関する知識や認識に依拠しています。こうした価値体系とそれに結びつく前提は、特定のディスコース群に固有のものとして捉えることができます。一つの特定のディスコースには、何が存在し、何が事実であり、何が可能で必要かといった前提が含まれているのです。\nそして、そのように前提とされる意味こそが、特にイデオロギー的な機能を果たします。たとえば、「わが国の若者は、グローバル市場において、職や大学教育をめぐって、このような学生たちと競争しなければならないのである」という文を考えてみます。ここでは「グローバル市場」の存在自体が前提とされているだけでなく、それが「一つの現実である」という前提や「経済発展である」という前提が組み込まれており、いずれもイデオロギー的機能を果たしていると考えることができます。\nただし、ここで注意しておかなければならない点があります。フェアクラフは、単にテクストを観察して前提を抽出し、その証拠のみに基づいてイデオロギー的であるかを判断することはできない、と強調しています。それが実際にイデオロギー的な前提であることを主張するためには、関連する他の命題や信念とともに、それがどのような効果をもたらしているのかという説得力のある議論の展開が必要です。そのためにも、テクスト分析そのものが非常に重要な役割を担うことになります。\n❤️ いいね 0 参考\nフェアクラフ, N. (2012). 『ディスコースを分析する』（日本メディア英語学会メディア英語談話分析研究分科会訳）. くろしお出版. (原著『Analysing Discourse: Textual Analysis for Social Research』2003年刊)keywords [前提] [イデオロギー]\nKeywords\n[前提]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/383/","summary":"\u003cp\u003e昨日の論考を受けて、フェアクラフ（2012）の「前提」についての箇所を読み直してみました。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003eテクストには「That\u0026rsquo;s wonderful!」や「excellent!」のような明示的な評価が含まれることもありますが、多くの評価はむしろ「前提」として提示されます。この前提は暗示性とも深く関わっており、社会的に見ても非常に重要な特性だとされています。\u003c/p\u003e","title":"#383 前提とイデオロギー"},{"content":"\n感情をいきいきさせるためにも、やはり行動したり、情報を探したり、人を頼ったりすることを忘れずにいたいと思う本でした。\n「『スケベ心』までなくしてしまったら、感情の老化が相当進んでいる証拠だ。『楽しいことが起こりそうだ』『面白そうだ』という感情が働いているうちに、何が自分を刺激してくれるのか、何をしているときが寝食を忘れるほど楽しいのかを探しておくことが大切だ」\nこれはすぐに実践できるぞと思ったのは…\n「復習するということを習慣化するためには、『受け売りで話す』という方法がある。本や雑誌で読んだり、テレビを見ていて知ったことや面白かったことを、『受け売りで話す』のだ。」\nいつまでも、いきいきとするぞ～！\n","permalink":"https://mkitazawa.com/book-log/book1/","summary":"\u003cp\u003e\u003cimg src=\"/images/book1.jpg\" alt=\"人は「感情」から老化する\" style=\"max-width: 260px; border-radius: 8px; border: 1.5px solid var(--border);\"\u003e\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e感情をいきいきさせるためにも、やはり行動したり、情報を探したり、人を頼ったりすることを忘れずにいたいと思う本でした。\u003c/p\u003e\n\u003cblockquote\u003e\n\u003cp\u003e「『スケベ心』までなくしてしまったら、感情の老化が相当進んでいる証拠だ。『楽しいことが起こりそうだ』『面白そうだ』という感情が働いているうちに、何が自分を刺激してくれるのか、何をしているときが寝食を忘れるほど楽しいのかを探しておくことが大切だ」\u003c/p\u003e","title":"人は「感情」から老化する"},{"content":"稲永ほか（2017）の論文では、英文の大学案内において、各大学が留学生獲得に向けどのような表象（表現）を行っているのかが、批判的談話分析の枠組みを援用して分析されています。\nこの論文の中で整理されていたフェアクラフ（2012）による「前提」の概念についての解説が非常にわかりやすく、参考になりました。かつて読んだことがあるはずなのですが、すっかり記憶から抜け落ちてしまっていたため、自分自身の備忘録としてここに書き留めておきたいと思います。\nフェアクラフの説く「前提」には、大きく分けて以下の3つのタイプが存在します。\n存在の前提：すでに存在しているものに関する前提命題の前提：事実であること、あるいは事実でありうること・あろうことに関する前提価値の前提：望ましいものや優良なものに関する前提\nこれらの前提は、テクスト内の特定の言語的特性が「引き金（trigger）」となって表示されるという特徴があります。\nたとえば「存在の前提」は、定冠詞や指示詞、限定的な指示マーカーなどが引き金となって示されます。\n「命題の前提」では、\u0026ldquo;I realized that global warming is advancing at an unusual rate.\u0026rdquo; という文において、\u0026ldquo;realized\u0026rdquo;（気づいた）という動詞が引き金となり、「地球温暖化が異常なペースで進んでいる」という事実そのものが前提として提示されます。\nまた「価値の前提」の例としては、\u0026ldquo;This program will help improve your English language skills.\u0026rdquo; といった文があげられます。ここでは \u0026ldquo;help\u0026rdquo; という動詞が引き金となり、「英語スキルを伸ばすことは良いことである」という価値観があらかじめ共有すべき前提とされています。\n振り返ってみると、私がこれまで目にしてきた企業の経営理念なども、まさに「誰にとっても良いものであるはずだ」という、こうした「価値の前提」を巧みに利用して作られているものが多いと感じます。以前こちらで紹介した旅行広告などもそのひとつだと思います。\nもう一度フェアクラフの著作をじっくり読み直さなければいけないなと感じているところです（これを書き終えて、この本を家に持ち帰っていることに気付きました。明日の課題といたします。）。\n❤️ いいね 0 参考\n稲永知世, 越智有紀, 冨成絢子, \u0026amp; 仲西恭子. (2017). グローバル化社会とメディア英語のディスコース分析 英文大学案内の比較分析. メディア・英語・コミュニケーション, 7(1), 105–132.フェアクラフ, N. (2012). 『ディスコースを分析する』（日本メディア英語学会メディア英語談話分析研究分科会訳）. くろしお出版. (原著『Analysing Discourse: Textual Analysis for Social Research』2003年刊)keywords [前提]\nKeywords\n[前提]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/382/","summary":"\u003cp\u003e稲永ほか（2017）の論文では、英文の大学案内において、各大学が留学生獲得に向けどのような表象（表現）を行っているのかが、批判的談話分析の枠組みを援用して分析されています。\u003c/p\u003e","title":"#382 引き金としての言語"},{"content":"高木（2009）を読んでいて、隣接ペアが相互行為を考える上で鍵概念になっているということが分かりました。それだけ人間の志向を表しているものであり、実際、乳児や幼児とのやり取りの中でもそうしたやりとりが観察されるという記述をとても面白く読みました。\nまた、隣接ペアにおいて、相手に対する「期待」も大切であることが分かりました。これは「条件的適切性（Conditional Relevance）」と呼ばれています。それは、「隣接ペアにおいて、第一部分として理解可能な行為が産出されたという条件のもと（coniditional）、その第一部分の発話タイプと対になりうる第二部分（second pair part）の産出が有意味かつ適切なもの（relevant）となり、規範的に期待される」、そうした、第一部分と第二部分の規範的関係のことを指しています（Schegloff 1968）。\n例として挙がっているのが養育者による乳児の「引用」です。4歳の姉が1歳の弟がつかもうとしていた写真を持ち去ってしまった場面で、父親が「〇〇ちゃんと見たいって」と言った後、姉に向かって「はい」と言いながら手を伸ばし、姉は写真を父に渡し、弟の手に渡るのを受諾するというやり取りが紹介されています。\nこれについては、「乳児の『引用』が、乳児の欲求を『代弁』するものとして提示されている限りにおいて、それは、乳児の欲求を満たすように『要請』する行為として理解され、次の順番において、その行為が向けられた姉が、その欲求に応じる行為を行うことが適切となる。つまり、「要請―受諾」の隣接ペアへの志向が引き出されているのである」と書かれています。\nこのような相互行為の原型を乳児と姉との間で可能にするという意味で、社会化の過程においても重要だと指摘されています。高木は、「おわりに」で、「人間が、相手が差し出した行為に対する反応としての行為を生み出すことに強く志向する」ということが、隣接ペアの原型で、相互行為の分析の出発点だと述べています。\n❤️ いいね 0 参考\n高木智世. (2009). 隣接ペア概念再訪: 相互行為の原動装置. 認知科学, 16(4), 481-486.Schegloff, E. A. (1968). Sequencing in Conversational Openings. American Anthropologist,70, 1075–1095.\nKeywords\n[隣接ペア]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/381/","summary":"\u003cp\u003e高木（2009）を読んでいて、隣接ペアが相互行為を考える上で鍵概念になっているということが分かりました。それだけ人間の志向を表しているものであり、実際、乳児や幼児とのやり取りの中でもそうしたやりとりが観察されるという記述をとても面白く読みました。\u003c/p\u003e","title":"#381 隣接ペアへの志向"},{"content":"名前を変えることで意識を変える、あるいは変えようとする試みは、さまざまな分野で行われているのだと実感しました。\n8月24日の朝刊に掲載されていた「\u0026ldquo;無痛\u0026quot;分娩 \u0026ldquo;鎮痛\u0026quot;に変えませんか」という記事は、とても新鮮な内容でした。ちょうど先日、無痛分娩を経験した友人3人から「普通に痛かった」という話を聞いたばかりだったからです。その時は友人たちも含めて「そういうものなんだ」と思う程度でしたが、日本麻酔科学会が「鎮痛」という言葉を使った呼称を提案するなど、専門家が声を上げていることを知り、将来的に本当に名称が変わるかもしれないと感じました。\n記事によると、「無痛」という言葉が「まったく痛くない」という過度な期待を生み、中には「痛かったからお金は払わない」と主張する人までいるそうです。そうしたトラブルを避けるために「和痛分娩」と表現する医療機関もありますが、痛みは主観的なもので感じ方には個人差があります。そのため、痛みを「鎮める」処置を行うという客観的な事実を表す言葉として、「鎮痛」が麻酔科医にとってより正確な表現だと述べられていました。\nすでに学会の用語集には「分娩時鎮痛（鎮痛分娩、無痛分娩、和痛分娩）」という新たな名称が追加されたそうです。言葉が整理されることで、麻酔科医が果たす役割を明確に伝えられるようになったと言われています。\n現在の日本の法律では、専門の麻酔科医がいなくても産科医が麻酔を担当して無痛分娩を行うことができます。しかし、麻酔科医の役割は単に痛みを抑えるだけでなく、呼吸や血圧などの循環管理に至るまで多岐にわたります。出産を安全に進行させるうえで麻酔科医の存在がいかに重要か、記事から強く伝わってきました。名付けを変えることが、そうした重要な役割への理解や意識の広がりにもつながっていくのではないかと感じています。\n❤️ いいね 0 参考\nhttps://www.asahi.com/articles/DA3S16531796.html\nKeywords\n[名付け]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/380/","summary":"\u003cp\u003e名前を変えることで意識を変える、あるいは変えようとする試みは、さまざまな分野で行われているのだと実感しました。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e8月24日の朝刊に掲載されていた「\u0026ldquo;無痛\u0026quot;分娩 \u0026ldquo;鎮痛\u0026quot;に変えませんか」という記事は、とても新鮮な内容でした。ちょうど先日、無痛分娩を経験した友人3人から「普通に痛かった」という話を聞いたばかりだったからです。その時は友人たちも含めて「そういうものなんだ」と思う程度でしたが、日本麻酔科学会が「鎮痛」という言葉を使った呼称を提案するなど、専門家が声を上げていることを知り、将来的に本当に名称が変わるかもしれないと感じました。\u003c/p\u003e","title":"#380 無痛は無痛か？"},{"content":"8月23日の記事「失語症になった先生『継続の力』はいまも」で紹介されていた、脳梗塞後に言葉が出なくなってしまった方のエピソードがとても印象に残っています。\nその記事では、「相手が待ってくれていると思うと焦って余計に話せなくなってしまう」「『何か言おうとしていますか』と聞いてくれると、『はい』『いいえ』で答えられるので助かる」といった切実な声が取り上げられていました。\nこれは失語症に限った話ではありません。私自身も、相手の回答を待てずに矢継ぎ早に質問を重ねてしまったり、沈黙に耐えかねて自分ばかり話してしまったりと、思い当たる節があって少し恥ずかしくなりました。\nこの記事で紹介されているような質問は、言語学的に見ると、相手に肯定か否定の答えを求める「極性疑問文」に分類されます。これは確認を求める働きがあり、答える側を特定の回答へ導きやすいという特徴があります。\n一方で、「なに」「どこ」といった疑問詞を使う「疑問詞疑問文」は、質問者が答えを特定せずに情報を求めるものです。そのため、答える側にとっては自由度が高い反面、思うように話せない状況では発話の負担が大きくなってしまうのかもしれません。\n関連する研究として、李（2024）は中国語の初対面会話における疑問詞疑問文を分析しています。それによると、単なる「情報要求と情報提供」の1対1のやり取り（隣接ペア）で終わることは少なく、そこから関連する発話が続いていくケースが多かったそうです。さらに、現場では疑問詞疑問文と極性疑問文などを巧みに組み合わせた質問も見られたといいます。\nひとくちに「疑問文」といってもその種類や役割は様々です。最初の失語症の方のお気持ちを考えると、どのような形式で相手に問いかけるかという点も、思いやりのあるコミュニケーションにおける大切な選択肢なのだと実感しました。\n❤️ いいね 0 参考\n李昱琨. (2024). 初対面の中国語会話における疑問詞を用いた質問応答の相互行為分析―質問応答連鎖後方拡張の 4 パターン―. 言語情報科学, 22, 19-35.https://www.asahi.com/articles/DA3S16531706.html\nKeywords\n[隣接ペア]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/379/","summary":"\u003cp\u003e8月23日の記事「失語症になった先生『継続の力』はいまも」で紹介されていた、脳梗塞後に言葉が出なくなってしまった方のエピソードがとても印象に残っています。\u003c/p\u003e","title":"#379 疑問文をミックスする配慮"},{"content":"以前取り上げた、オーストラリアで、IT大手企業に対してニュースの使用対価を報道機関へ支払うよう実質的に義務付ける法案が可決されたというニュースを目にし、新たな動きに少し嬉しく思いながら記事を読んでいました。\nこの記事では、政府が報道機関を支援する法律を推進する背景について、オーストラリア競争・消費者委員会の元会長であるロッド・シムズ氏と、ディーキン大学のクリスティ・ヘス教授という二人の専門家へのインタビューをもとに解説がなされています。\nロッド・シムズ氏は、適切な対価が支払われていない現状を「市場の失敗」と呼び、報道機関の重要性を強調しています。政府がどれほど報道機関から追求を受けたとしても、メディアによって議論が深まること自体の価値を政府は理解しているのだそうです。だからこそ、AI規制についても同様に政府が動き、法案が推進されました。また、子どものSNS利用を制限する法律についても、政治家が突如言い出したわけではなく、独立機関が調査を行い問題を可視化したからこそ実現したと指摘されています。日本で同様の制度を実現するためにも、まずは「なぜその制度が必要なのか」をしっかりと説明するところから始めるべきだという意見には、納得させられます。\n一方、クリスティ・ヘス氏の発言で特に印象的だったのは、「日本のようにほぼ毎日、朝刊・夕刊を発行する時代は、オーストラリアでは何十年も前に終わった」という言葉です。これまでは考えたこともない視点だったので、正直とても驚きました。ほかの国のメディア事情についても、もっと調べてみたいです。\nオーストラリアでは現在、地方紙がなくなった町に住む人々が首相のニュースは知っていても、地元議会で何が決まったかは分からないといった状況に陥っているそうです。自治体が電柱に故人の情報などを貼ってお知らせしている地域もあるのだとか。こうした状況は「ニュース砂漠」と呼ばれています。\nさらに、地方紙がなくなった代わりにFacebookで情報共有のページを立ち上げた例もあるようですが、「徐々に議論が感情的になり、中傷が増え、アルゴリズムで重要な投稿が埋もれて情報が錯綜する」という典型的なパターンに陥ってしまうと言われています。だからこそ、独立していて信頼できる地方紙の存在が必要であり、そうしたメディアが持続可能となる仕組みの構築が今まさに期待されていると締めくくられています。\n❤️ いいね 0 参考\n＜考論＞豪、ＩＴ大手にニュース対価義務化　ロッド・シムズ氏、クリスティ・ヘス氏https://www.asahi.com/articles/DA3S16531081.html\nKeywords\n[マスメディア]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/378/","summary":"\u003cp\u003e以前取り上げた、オーストラリアで、IT大手企業に対してニュースの使用対価を報道機関へ支払うよう実質的に義務付ける法案が可決されたというニュースを目にし、新たな動きに少し嬉しく思いながら記事を読んでいました。\u003c/p\u003e","title":"#378 ニュース砂漠"},{"content":"朝日新聞で連載されている「プルデンシャル、自粛期の混迷」を読みました。記事では、金銭不祥事などを受けて営業自粛が180日間延長されたことや、その際に顧客へ電話対応をするための台本（ひな型）が本社からライフプランナーへ共有されていた様子が紹介されています。\nこの電話マニュアルは導入からクロージングまで7段階で構成されており、導入部分では「お世話になっております。プルデンシャル生命の〇〇でございます。今、少しお時間よろしいでしょうか。弊社からのプレスリリースをご覧になったかと思いまして、担当として一言おわびと補足をお伝えしたくてお電話しました」といった言葉が用意されています。また、クロージングには「私自身は今後も引き続き、〇〇さんの担当として、誠実であり続けたいと思っています」と顧客に寄り添う姿勢を示す文言が使われているそうです。さらに不祥事の再発防止策として、顧客との会話を原則録音し、AIで分析して不正を検知する仕組みも検討されているとのことで、組織として必死に信頼を回復しようとする姿勢が伝わってきます。\nこうしたマニュアルの存在はミスを防ぐために重要ですが、表面的な「型」ばかりが先行してしまい、社員本人や会社全体の意識や雰囲気を根本から変えなければ、本当の意味での解決にはならないのではないかと感じました。一方で、企業や時代ごとの電話マニュアルの文言を比較してみるのも面白そうだなと、興味深い題材として記事を拝読しました。\n❤️ いいね 0 参考\n朝日新聞 2026年8月21日「（けいざい＋）プルデンシャル、自粛期の混迷：３　報酬改革へ「年収ガッツリ減るのでは」」https://www.asahi.com/articles/DA3S16529565.html\nKeywords\n[スクリプト]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/377/","summary":"\u003cp\u003e朝日新聞で連載されている「プルデンシャル、自粛期の混迷」を読みました。記事では、金銭不祥事などを受けて営業自粛が180日間延長されたことや、その際に顧客へ電話対応をするための台本（ひな型）が本社からライフプランナーへ共有されていた様子が紹介されています。\u003c/p\u003e","title":"#377 電話対応のひな型"},{"content":"ブックログに最近アップした福田恆存の『私の幸福論』。その中の「恋愛について」というセクションでは、恋愛の伝染性や模倣性について触れられています。\n作中にはこのような一節があります。\n「私たちは、相手が好きとかなんとかいうまえに、恋愛というもの一般についての『論』や『観』が形づくられているのであります。その『論』や『観』がさきで、それに都合のいい相手を見つけだすという段どりになります。… いずれにせよ、自分独特の恋愛などというものはできないばかりでなく、恋愛小説、恋愛論、あるいは他人の恋愛、そういうものを知らなければ、たいていの人は、恋愛をしてみようと思いつきさえしないかもしれない。\u0026hellip;たまたま恋愛小説や恋愛論を読んでいたため、あるいは友人の恋愛を眼のあたりに見ているため、自分もそんな気もちになってみたいと思うのであり、さらに自分のうちにあるなにがしかの感情の切れはしにすがって、それを『模範的な恋愛』にまで育てあげようとするだけのことです。」\nこれを読んでいて、どこか言語と似た部分があるなと感じました。\nことばもまた、すでに存在する型をたよりにするからこそ意思疎通が成り立ち、同じようなコミュニケーションを真似し合うことで仲間であることを確認し合ったりしています。そうした模倣や伝染といった側面がベースにあるからこそ、社会が成り立っている側面もあるのかもしれません。ただ、その型も決してずっと同じ姿のまま留まるわけではなく、共有された型を土台としながら、新たな創造的表現が生まれて姿を変えていくこともあります。こうした模倣と創造のプロセスについて、これから少しずつ考えを深めてみたいです。\n❤️ いいね 0 Keywords\n[模倣]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/375/","summary":"\u003cp\u003eブックログに最近アップした福田恆存の『私の幸福論』。その中の「恋愛について」というセクションでは、恋愛の伝染性や模倣性について触れられています。\u003c/p\u003e","title":"#375 論や観の模倣と伝染"},{"content":"昨日聞いた「いらっしゃいませ」という言葉からインスピレーションを受け、お店でのやりとりに関する論文を読んでみたいと思い調べてみました。\n今回読んだ酒井（2022）の論文では、広島県の瀬戸内海島しょ部にある個人商店の会話データを分析し、地方や小規模地域の近隣型商店における店員と常連客のコミュニケーション、特に「出会いのあいさつ直後に生起する雑談」に着目しています。\nこの論文の中で雑談は、単なる目的達成のためのものではなく、交感的なつながりを生む言語使用の一つとして位置づけられています。そして筒井（2012）の定義を引用し、「特定の達成すべき課題がない状況において、あるいは課題があってもそれを行っていない時期において、相手とともに時を過ごす活動として行う会話」と説明されています。\n分析結果の中で特に面白いと感じたのは、店員と客の間で「持続的な関係の確認」が行われている点です。前回の接触や互いの生活サイクル、共通の知人の話題などが自然と交わされており、例えば店員が客に「おばちゃん昨日ありがと。おでんがおいしかった」と話しかけるようなやりとりが見られます。\nまた、通常の接客ではあまり見られない「冗談としての対立」が存在するのも興味深い特徴です。店員が「いらっしゃい」と声をかけたのに対し、客が「いぬるわい（帰るぞ）」と返し、それを店員が笑って受け流すようなやりとりが紹介されています。これに関連して、「客が上、店員が下」という規範的な上下関係にとらわれない対等な関係性もうかがえ、店員が「よう知っとるじゃん、おじさん女心を」と客を評価するような場面も見られます。\nこうした雑談が生まれる背景には、店の出入り口のすぐ横にレジがあるという店舗構造も大きく影響しているそうです。いずれにせよ、このような近隣型商店が地域社会のコミュニケーションにおいて非常に重要な役割を果たしていることが分かります。\n私の祖母と叔父も現在おもちゃ屋さんを続けているのですが、やはり入り口付近にレジがあり、幼い頃から知っている常連のお客さんも多いため、いつも楽しそうに雑談をしています。時にはお客さんにちょっとした店番を頼むことすらあり、そうした温かい場所の魅力を改めて実感させられました。\n❤️ いいね 0 参考\n酒井晴香. (2022). 近隣型商店における店員と常連客の言語使用―出会いのあいさつの後に生じる雑談に着目して―. 社会言語科学, 25(1), 166-181.筒井佐代. (2012). 雑談の構造分析．くろしお出版．\nKeywords\n[雑談]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/374/","summary":"\u003cp\u003e昨日聞いた「いらっしゃいませ」という言葉からインスピレーションを受け、お店でのやりとりに関する論文を読んでみたいと思い調べてみました。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e今回読んだ酒井（2022）の論文では、広島県の瀬戸内海島しょ部にある個人商店の会話データを分析し、地方や小規模地域の近隣型商店における店員と常連客のコミュニケーション、特に「出会いのあいさつ直後に生起する雑談」に着目しています。\u003c/p\u003e","title":"#374 商店での雑談"},{"content":"溜まっていた記事を一気に読んでいたところ、8月14日付の朝日新聞でとても面白い記事を見つけました。\n日本に20年以上住まれているイギリス出身の翻訳家、竹森ジニーさんについての記事です。村田沙耶香さんの芥川賞受賞作『コンビニ人間』が世界的ベストセラーになった背景にある、日本独特の空間やニュアンスを海外へ伝えるための翻訳の工夫が紹介されていました。\n私は恥ずかしながら原作をまだ読んだことがないのですが、記事では「コンビニエンスストアは、音で満ちている」という冒頭の一節が取り上げられていました。ここに出てくる音とは、来客を知らせるチャイムの音、バーコードをスキャンする音、パンの袋が握られる音などです。\nこれらを単に「sound」と訳すのではなく、「音で満ちている」を「world of sound」、チャイムの音を「tinkle」、バーコード音を「beeps」、パンの袋の音を「rustle」といったように細かく訳し分けたそうです。\nそして、この記事のタイトルにもなっていて竹森さんが一番悩んだというのが、「いらっしゃいませ」の翻訳でした。英語にはこうしたマニュアル的な決まり文句がなく、「welcome」と直訳してしまうと不自然になってしまいます。さらに興味深かったのは、一度きりなら文脈に合わせて訳せても、作中で何度も繰り返し登場するため、最終的にそのまま「irasshaimase」とローマ字表記にしたというエピソードです。\nこの「いらっしゃいませ」という言葉は、返答の決まっていない日本語の慣用句の一例として、井上（2021）の文献にも挙げられています。\nあえてそのまま翻訳された点に日本らしさの象徴を感じると同時に、明日コンビニでこの言葉や音を実際に耳にするのが少し楽しみになりました。\n❤️ いいね 0 参考\nhttps://www.asahi.com/articles/DA3S16525955.html井上逸兵 (2021) 『英語の思考法―話すための文法・文化レッスン』ちくま新書\nKeywords\n[オノマトペ]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/373/","summary":"\u003cp\u003e溜まっていた記事を一気に読んでいたところ、8月14日付の朝日新聞でとても面白い記事を見つけました。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e日本に20年以上住まれているイギリス出身の翻訳家、竹森ジニーさんについての記事です。村田沙耶香さんの芥川賞受賞作『コンビニ人間』が世界的ベストセラーになった背景にある、日本独特の空間やニュアンスを海外へ伝えるための翻訳の工夫が紹介されていました。\u003c/p\u003e","title":"#373 「いらっしゃいませ」という音"},{"content":"前回は、オーストラリアの地方メディアが直面する消滅の危機に対し、政府が歯止めをかけようとしている取り組みをご紹介しました。\nアルバニージー首相は、健全な民主主義を維持するためにはジャーナリズムへの投資が不可欠だと訴えているそうです。新法案では企業の規模によって適用の対象を決めており、グーグル、メタ、ティックトック、そしてマイクロソフト傘下のリンクトインが対象となる見通しとのことでした。\nグーグルは検索結果の一部に報道機関の記事リンクを利用し、メタも記事リンクを含む投稿を共有できるようにするなど、IT大手は自社サービスの充実のためにニュースコンテンツを活用しています。主な収入源は広告で、表示回数やクリック数に応じて広告主から費用を得る仕組みです。\n問題なのは、報道機関が取材や人件費などのコストをかけてコンテンツを制作しているにもかかわらず、IT大手側がそれらを表示して広告収入を得ながら、正当な対価を支払っていない点にあります。表示を見たユーザーがそのまま報道機関のサイトにアクセスしてくれれば良いのですが、検索結果画面だけで内容が理解できてしまうため、わざわざサイトまで訪れないことが増えています。グーグル側は過去20年で数千億円規模の支援をジャーナリズムに行ってきたと説明していますが、不均衡は解消されていません。\nさらにこの状況に拍車をかけているのが、AIによる要約表示です。利用者がAIの要約や回答に満足して元サイトを訪れなくなる「ゼロクリック」問題への懸念が深まっています。米調査会社ピュー・リサーチの調査では、AIオーバービュー（要約）を見た利用者のうち、引用元のサイトをクリックした人はわずか1％しかいなかったそうです。\nそれでは「AI検索に使われるのを拒否すればいいのでは」と思いますが、今の仕組みで拒否を設定すると、通常の検索結果における表示順位まで下がってしまうリスクがあり、報道機関側も拒否しづらいのが現状のようです。\nただ、イギリスではAI検索結果への引用を許可するかどうかをサイト側が選べる仕組みを、グーグルが試験的に始めたという動きもあります。\n今後この問題がどう着地するのか、そして私たちの元に届くニュースの形がどう変化していくのか、非常に考えさせられる記事でした。\n❤️ いいね 0 参考\nhttps://www.asahi.com/articles/DA3S16525282.htmlhttps://www.asahi.com/articles/DA3S16525284.html\nKeywords\n[マスメディア]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/372/","summary":"\u003cp\u003e前回は、オーストラリアの地方メディアが直面する消滅の危機に対し、政府が歯止めをかけようとしている取り組みをご紹介しました。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003eアルバニージー首相は、健全な民主主義を維持するためにはジャーナリズムへの投資が不可欠だと訴えているそうです。新法案では企業の規模によって適用の対象を決めており、グーグル、メタ、ティックトック、そしてマイクロソフト傘下のリンクトインが対象となる見通しとのことでした。\u003c/p\u003e","title":"#372 ゼロクリック問題"},{"content":"お盆休みの不在中にたまっていた新聞を、いま一気に読んでおります。その中でも8月13日の紙面には、自分の中でしっかりと記録しておきたい記事が2つありました。少し長くなりそうなので、数日に分けて共有します。\n一つ目は、言語学者・中村桃子先生の「新しいことば『当たり前』を変える」という記事です。先日取り上げた「義実家」に続き、今回は「ワンオペ育児」や「異性愛」といった言葉が例として挙げられていました。\n「ワンオペ」はもともと飲食店などで人手が不足する時間帯を一人で切り盛りすることを指していましたが、そこから派生して、家事や育児を一人で担う状態を「ワンオペ育児」と呼ぶようになりました。朝日新聞の記事データベースによると、初出は2016年とのこと。\n中村先生によれば、ご自身の時代はワンオペ育児の状態が当たり前であり、そうした日常化している事柄には名前すらなかったと言います。辞書でも、かつては「同性愛」の掲載はあっても「異性愛」は載っていなかったそうで、後者が掲載されるようになったのは「異性愛だけが当たり前ではない」と社会に認識され始めた表れだと説明されていました。社会を変える新しい言葉が広がるほど、性別役割が固定化されていた時代の「当たり前」が書き換わっていくのだと実感します。\nまた、この記事で興味深かったのは、言葉と向き合う校閲の現場についての言及です。「君はいい奥さんになるよ」という表現を例に、配偶者を「奥さん」と呼ぶ妥当性や、それを褒め言葉と捉える感覚について問い直していました。中村先生は、差別意識の組み込まれた使い古された言葉を使わずにフェードアウトさせていくことも、言葉から社会の不平等を治す戦略の一つだと述べています。具体的には「〇〇夫人」（夫ありきの表現）や「未婚」（結婚を前提とした表現）なども見直しの対象として挙げられていました。\nこの記事を受けた記者の方も、実際の校閲で働く女性が経験したエピソードを紹介していました。専業主婦の母から「いま仕事を辞めたら、子育てが済んでから『私の人生何だったんだ』と思うわよ」と言われ気になったという話です。そのまま載せると「働く女性は専業主婦より偉い」というメッセージに見えかねませんが、母には「働きたくても働けなかった」背景があったと補足することで、対立構造を回避できたそうです。\n言葉の背景にある意識にまで目を配ることの大切さを学び、私自身も日々発信する際にはできる限り注意を払いたいと感じました。\n❤️ いいね 0 参考\nhttps://www.asahi.com/articles/DA3S16525245.html\nKeywords\n[ジェンダー]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/370/","summary":"\u003cp\u003eお盆休みの不在中にたまっていた新聞を、いま一気に読んでおります。その中でも8月13日の紙面には、自分の中でしっかりと記録しておきたい記事が2つありました。少し長くなりそうなので、数日に分けて共有します。\u003c/p\u003e","title":"#370 ことばのフェードアウト"},{"content":"今書いているものに登場する制度的談話についても改めて振り返っています。このブログを過去に遡ってみると、制度的談話は「スモールトーク」や「雑談」とは対照的なものとして位置づけられています。新たに見たのは以下の定義です。\n阿部（2010）では、日米両国に共通して存在する助言談話を扱っていますが、そこでは社会制度を構成する「ゲーム」の中で「ルール」があらかじめ決まっているような会話を「制度的談話」と呼んでいます。\nまた、橋内（1999）によると、制度的談話は家族や友人同士の日常会話とは異なり、社会的制度や何らかの社会的役割関係のもとで行われるやりとりであると説明されています。具体的には、テレビのニュースインタビュー、医師と患者のコミュニケーション、先生・生徒・保護者による三者面談、理髪師と客の床屋談義、裁判における判事と弁護士のやりとり、パイロットと航空管制官の通信、さらには学会での口頭発表など、多岐にわたる豊かな例が挙げられています。\n❤️ いいね 0 参考\n阿部圭子（2010）日本語と英語、「説得」に向いている言語はどちらか？. 『英語教育 9月号』Vol.59 No.6. 大修館書店橋内 武（1999）『ディスコース――談話の織りなす世界』くろしお出版. keywords [制度的談話]\nKeywords\n[制度的談話]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/369/","summary":"\u003cp\u003e今書いているものに登場する制度的談話についても改めて振り返っています。このブログを過去に遡ってみると、制度的談話は「スモールトーク」や「雑談」とは対照的なものとして位置づけられています。新たに見たのは以下の定義です。\u003c/p\u003e","title":"#369 制度的談話について"},{"content":"今日から長野に来ています。避暑地で執筆を……と思って訪れ、綺麗な景色を眺める間もなく、パソコンの画面ばかり見つめております。\n本日もあまり余裕がないため、ピーター・トラッドギル（Peter Trudgill）の『A Glossary of Sociolinguistics』の中から、いま書いている内容と関連する「act of identity」の項目をまとめるにとどめさせてくださいませ。\nイギリスの社会言語学者ロバート・ル・ページ（Robert LePage）は、人が発するどのような発話行為も「アイデンティティの行為（act of identity）」であると考えました。人は自分がありたいと願う個人的・社会的なアイデンティティに従い、自分の持つ言葉のレパートリーの中から選択を行っています。たとえば、特定の集団に結びついた発音や文法形式、単語などを選んで使うことによって、このアイデンティティの表明がなされるのだそうです。\nまた定義の最後には、アコモデーションとの関連についても述べられています。相手の言葉に近づけようとする姿勢も、逆に遠ざけようとする姿勢も、すべてこの「アイデンティティの行為」として捉えることができるのだそうです。\n❤️ いいね 0 参考\nTrudgill, P. (2003). A glossary of sociolinguistics. Edinburgh University Press. keywords [アイデンティティ]\nKeywords\n[アイデンティティ]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/368/","summary":"\u003cp\u003e今日から長野に来ています。避暑地で執筆を……と思って訪れ、綺麗な景色を眺める間もなく、パソコンの画面ばかり見つめております。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e本日もあまり余裕がないため、ピーター・トラッドギル（Peter Trudgill）の『A Glossary of Sociolinguistics』の中から、いま書いている内容と関連する「act of identity」の項目をまとめるにとどめさせてくださいませ。\u003c/p\u003e","title":"#368 アイデンティティの行為"},{"content":"ピーター・トラッドギル（Peter Trudgill）の『A Glossary of Sociolinguistics』をいまさらながら手に入れて、パラパラと眺めています。ちょうど談話分析（Discourse Analysis）の定義について確認していたところだったので、本書でどのように整理されているか、引用してご紹介したいと思います。\n\u0026ldquo;A branch of linguistics which deals with linguistic units at levels above the sentence, that is texts and conversations. Those branches of discourse analysis which come under the heading of sociolinguistics presuppose that language is being used in social interaction and thus deal with conversation. Other non-sociolinguistic branches of discourse analysis are often known as text linguistics. Discourse analysis is opposed by some writers to conversation analysis.\u0026rdquo;\n簡単にまとめると、談話分析とは「文を超えたレベルの言語単位」、つまりテクスト（文章）や会話を取り扱う言語学の一領域とされています。\n社会言語学の枠組みで行われる談話分析では、言語が「社会的相互作用の中で使われるもの」という前提があるため、会話を取り扱います。一方で、社会言語学の範疇に含まれない談話分析は「テクスト言語学」として知られており、研究者によっては「会話分析」と対比させる形で談話分析を捉えるケースもあるようです。\n❤️ いいね 0 参考\nTrudgill, P. (2003). A glossary of sociolinguistics. Edinburgh University Press. keywords [談話分析]\nKeywords\n[談話分析]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/367/","summary":"\u003cp\u003eピーター・トラッドギル（Peter Trudgill）の『A Glossary of Sociolinguistics』をいまさらながら手に入れて、パラパラと眺めています。ちょうど談話分析（Discourse Analysis）の定義について確認していたところだったので、本書でどのように整理されているか、引用してご紹介したいと思います。\u003c/p\u003e","title":"#367 用語辞典で引く談話分析"},{"content":"猪狩（2007）によれば、日本におけるパブリックリレーションズの歴史は1947年にさかのぼります。GHQから日本政府や地方行政機関に対して、国民統治の方法のひとつとして導入を示唆されたのが始まりで、「広報」という言葉も行政が考案した訳語なのだそうです。\n民間企業への普及には、大きく分けて電通（当時は電報通信社）、証券業界、そして日本経営者団体連盟（日経連、現在の日本経団連）という3つのルートがありました。\n電通が開催した講習会において、1949年に外国部長であった田中寛次郎氏が語った言葉は、今なおPRの本質的な理念を表しています。田中氏は、「すべての企業は一般社会の認容がなければ存立し得ず、社会の利益や福祉に沿って経営されることが根本である」と述べました。そのうえで、正しく経営されていることを社会一般に知らせる必要があり、この「適切な経営」と「社会へ知らせる仕事」の全過程こそがPRであると語っています。\n一方、証券業界ではPRを通じた「証券民主化・大衆化」がスローガンとして掲げられました。また、1949年に労働組合運動への対抗として設立された日経連は、1951年にアメリカへ経営視察団を派遣しました。その際に日本へ持ち帰られたのがパブリックリレーションズとヒューマンリレーションズであり、これをきっかけに社内報や提案制度、意識調査といった諸制度が提案されるようになりました。\n日本でパブリシティ活動が本格化するのは、1950年代後半に高度経済成長が始まり、テレビ放送の開始や週刊誌ブームが到来してからです。50年代から60年代にかけては、アメリカで確立されたマーケティング手法が、経済成長への活力に満ちた日本へと流れ込んできた時期でもありました。\n1956年頃からは電気冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビといった「三種の神器」が一般家庭に浸透し、1959年には「マイカー元年」として自動車も普及、本格的な大衆消費社会へ突入します。同時にマスメディアの黄金期も訪れました。1953年のNHKや日本テレビの開局を皮切りに、テレビの契約者数は1959年に100万、翌年には200万と倍増し、10年後には普及率90％に達しました。週刊誌の発行部数も増大し、それに伴い広報部門を設置する大企業も徐々に増えていきました。\nしかし、1950年代後半の公害問題から1973年のオイルショックに至る企業批判の時代は、企業に大きな変化をもたらします。それまで社会を「市場」、人々を「消費者」としてしか捉えていなかった企業が、社会との信頼関係を築く必要性や、真の意味での広報活動の重要性を強く意識するようになりました。\nなお、書籍にはこの後の好況やバブル崩壊についても触れられていましたが、今回のまとめはここまでにしたいと思います。\n追伸：このブログを始めてから、早くも1年が経ちました。スタートした日のことは今でも鮮明に覚えています。「あれからもう1年か」と感慨深い気持ちになると同時に、当時の自分とは少し違う成長も感じています。文章を書く訓練としても、備忘録としても、まずまず機能してくれているようです。これからも楽しみながらコツコツ続けていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。\n❤️ いいね 0 参考\n猪狩誠也（編）. (2007). 『広報・パブリックリレーションズ入門』宣伝会議keywords [PR] [マスメディア]\nKeywords\n[PR]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/366/","summary":"\u003cp\u003e猪狩（2007）によれば、日本におけるパブリックリレーションズの歴史は1947年にさかのぼります。GHQから日本政府や地方行政機関に対して、国民統治の方法のひとつとして導入を示唆されたのが始まりで、「広報」という言葉も行政が考案した訳語なのだそうです。\u003c/p\u003e","title":"#366 日本のPR史"},{"content":"猪狩（2007）の『広報・パブリックリレーションズ入門』を興味深く読んでいるのですが、今回はその中で学んだPRの歴史について少しまとめてみたいと思います。\n現代のパブリックリレーションズ（PR）の源流は19世紀中頃のアメリカにあるというのが定説ですが、アメリカのPRの教科書では、古代ローマ帝国の頃から世論の重要性が認識されていたと述べるものも多いようです。歴史上の権力者は、常に民衆の支持を得るためにさまざまなコミュニケーションテクニックを用いてきたというのは、言われてみれば当然かもしれませんがとても興味深いポイントです。\nアメリカのPR史を紐解くと、その根底には「民衆が政治の主人公であり、パブリック・オピニオン（世論）が意思決定の基本であるべきだ」というデモクラシーの考え方があります。その始まりは18世紀の独立戦争において、政治家たちが民衆の参加を促そうとした試みにまで遡ります。その背景には、19世紀にかけて登場した娯楽新聞や『ニューヨーク・タイムズ』のような硬派な論説紙など、マス・コミュニケーションの目覚ましい発展がありました。\nさらに、資本家たちの秘密主義を排して情報を開示し社会へ発信すべきだという考えから、アイビー・リーによってPRコンサルタント会社が設立されます。その後、PRの手法を飛躍的に発展させたのは戦争でした。第一次世界大戦中には大統領の要請で「パブリック・インフォメーション委員会」が設立され、24時間体制のプレスリリース配信をはじめ、自前新聞の発行、映画、ポスター、展覧会など、あらゆるメディアを動員した大規模な活動が行われました。\nここで開発された技術は、当初は政治的な世論操作に偏っていましたが、やがて大衆消費社会の形成に大きな役割を果たしていくことになります。第二次世界大戦後、無傷で残ったアメリカの生産設備が民生に向かうと、1950年代には大量生産・大量消費の時代が到来しました。それに伴い、PRやプロパガンダの研究は大衆消費革命を推進するための重要なツールとして活用されるようになっていきます。\nこうした流れの中でPRを職業とする人々が増え、専門教育も急速に充実していきました。現在、アメリカでは500以上の大学にPR関連の学部や学科が存在するのに対し、日本では広報・PR関連の講義を行っている大学が約40校にとどまると言われています。\n今回はアメリカを中心としたPRの歴史を整理してみました。日本のPR史についても、明日以降のブログで詳しくまとめてみたいと思います。\n❤️ いいね 0 参考\n猪狩誠也（編）. (2007). 『広報・パブリックリレーションズ入門』宣伝会議keywords [PR][メディア]\nKeywords\n[PR]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/365/","summary":"\u003cp\u003e猪狩（2007）の『広報・パブリックリレーションズ入門』を興味深く読んでいるのですが、今回はその中で学んだPRの歴史について少しまとめてみたいと思います。\u003c/p\u003e","title":"#365 アメリカのPR史"},{"content":"本日Book Logにアップした小林祐児さんのご著書には、私にとって馴染み深い言語学の理論が登場していました。特に、以前私自身が「共通基盤（common ground）」に関する論文で引用したことのある Clark のアンカリングの概念が出てきて、懐かしさを感じると同時に、コミュニケーションにおいて自分自身が大切にし、関心を寄せてきた領域なのだと改めて感じました。\n小林氏は著書の中で、アンカリングについて次のように紹介されています。\n「しかし、コモン・センスを創るには、単なる情報伝達ではなく、『これは共通に知っていることである』という認識を与えなくてはいけません。そのためには、コミュニケーションの中で具体的な情報の範囲について直接言及し、誰が何をどこまで知っているかを明示的に『留め置く』ことが必要になります。そのように知識とその範囲を明示することを、ここでは『アンカリング』と呼びましょう。アンカリングとは、もともとは錨を使って船を係留することですが、流れていくコミュニケーションの中で、特定の事柄や情報をコモン・センスにするために留め置きすることです。」\n実際の会議の場における実践例としては、次のような発言が挙げられています。\n「この方針は、今日からチーム全員で共有されているものとして扱います」「先日、皆さんに共有した〇〇の件ですが…」「この件については、他の部署のメンバーにもすでに共有済みです」\nここで参照されている Clark（2021）の論文の冒頭要約（Abstract）には、次のような記述があります。\n「人々が互いにコミュニケーションをとるためには、それぞれの発話を、その発話の話し手、聞き手、場所、時間、提示内容、そして目的に結びつける、つまり『アンカー（固定）』しなければならない。（原文：\u0026ldquo;For people to communicate with each other, they must tie, or anchor, each of their utterances to the speaker, addressee, place, time, display, and purpose of that utterance.\u0026quot;）」\nそして論文では、このアンカリングには「indexing（指し示すこと）」と「identifying（特定・同定すること）」という2つのアクションが相互に関わっていると述べられています。\nたとえば、Aが木片（a piece of wood）を指さすジェスチャーとともに \u0026ldquo;Should we put this in?\u0026quot;（これを入れるべきでしょうか？）と尋ねたとします（これは木片を index しています）。このときBは、Aが木の種類を尋ねているのではなく「その木片そのもの」を指しているのだと解釈し、Aが何を指していたのかを特定・一致させます（これが identify です）。\n論文全体としては、対面の場合はこうしたアンカリングのためのリソース（資源）があるものの、電話や紙媒体といった非対面の場合は空間や時間、世界（worlds）から切り離されているためにより資源が制限されていることなどに触れられており、コミュニケーション（産出・理解）の研究においてそうした点がまだ十分に考えられていないという点についても議論されているようです。\n❤️ いいね 0 参考\n小林 祐児（2026）『職場の対話はなぜすれ違うのか』光文社新書Clark, H. H. (2021). Anchoring utterances. Topics in Cognitive Science, 13(2), 329-350.\nKeywords\n[共通基盤]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/364/","summary":"\u003cp\u003e本日Book Logにアップした小林祐児さんのご著書には、私にとって馴染み深い言語学の理論が登場していました。特に、以前私自身が「共通基盤（common ground）」に関する論文で引用したことのある Clark のアンカリングの概念が出てきて、懐かしさを感じると同時に、コミュニケーションにおいて自分自身が大切にし、関心を寄せてきた領域なのだと改めて感じました。\u003c/p\u003e","title":"#364 コミュニケーションにおける錨"},{"content":"昨日、百貨店に勤める友人と話していたときに、ふと気になって「従業員同士でトイレに行くことを何と言うのか」を尋ねてみました。\n返ってきた答えは「突き当たり」。「突き当たり行ってきます！」と使うそうなのですが、聞いたことがなかったので非常に面白く感じました。そういえば以前、大学の授業で学生たちに尋ねた際も、「10番行ってきます」や「R行ってきます」といった様々な表現が上がっていたのを思い出します。\n興味深かったのは友人の反応で、尋ねられるまで自分でも特に意識したことがなかったそうです。実際にトイレが通路の突き当たりにあるわけでもなく、研修マニュアルに載っていた記憶もないとのこと。おそらく、先輩社員から自然と受け継がれていく職場独自の言葉なのだろうなと感じました。さらに面白かったのは、別の百貨店ではまた違う呼び名が使われていることを友人が知っており、「他社とは違う」という差別化の意識はしっかり持っていた点です。\n「排泄」に関わる事柄だからこそ、直接的な表現を避ける「婉曲表現」や「隠語」が使われるわけですが、同じ職業やコミュニティ内でのみ通じる「集団語」としての側面もあり、とても興味深く感じます。\n気になって他の百貨店についても調べてみたところ、中西太郎先生による国立国語研究所の記事に行き着きました。記事の冒頭によると、百貨店はスーパーやコンビニなどとは異なり、高級品を扱い顧客の満足感を重視する業態であるため、お客様に不快感を与えないよう特に言葉遣いに気を配っているのだそうです。\nまた、記事では隠語の定義として木村（2009）の「2人以上が何かを隠すための意図で、人工的に作った言葉のこと」という説明が挙げられていました。さらに、トイレの呼び方に関する米川（2009）の調査結果も紹介されており、三越は「遠方」、松坂屋は「新閣」または「中村」（店舗による）、松屋は「二の字」、高島屋は「仁久」、大丸やそごうは「さんさん」と呼ぶそうです。今度百貨店に行った際には、従業員の方々の会話にこっそり耳を澄ませてみたくなりました。\nこうした隠語や言い換えの現象は、身近なところにもあふれています。例えば「生理」の呼び方もそのひとつです。私自身の中高生時代には、少女漫画雑誌の『ちゃお』を使って「今日ちゃおだ～」なんて会話をしていました。学生に聞いてみると、生理日管理アプリの『ルナルナ』から「ルナちゃん」と呼んでいたという声もあり、時代やコミュニティごとに独自の表現が生まれる面白さを改めて実感しました。\n❤️ いいね 0 参考\n中西太郎（2018）「百貨店で使われる秘密のことば」『ことば研究館』国立国語研究所（https://kotoba.ninjal.ac.jp/qa/yokuaru/qa-40/）木村義之（2009）「隠語の世界」中山緑朗ほか編『みんなの日本語事典―言葉の疑問・不思議に答える』明治書院、pp.360-361.米川明彦（2009）『集団語の研究 上巻』東京堂出版keywords [隠語] [婉曲表現] [集団語]\nKeywords\n[隠語]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/363/","summary":"\u003cp\u003e昨日、百貨店に勤める友人と話していたときに、ふと気になって「従業員同士でトイレに行くことを何と言うのか」を尋ねてみました。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e返ってきた答えは「突き当たり」。「突き当たり行ってきます！」と使うそうなのですが、聞いたことがなかったので非常に面白く感じました。そういえば以前、大学の授業で学生たちに尋ねた際も、「10番行ってきます」や「R行ってきます」といった様々な表現が上がっていたのを思い出します。\u003c/p\u003e","title":"#363 突き当たりにないトイレ"},{"content":"朝日新聞の「夕刊 ことば係」の記事で、「勝ちきる」という言葉が取り上げられていました。\nこの記事は、サッカーの試合で負けた側のチームの熱狂的なサポーターが「内容は勝っていた」と言ったエピソードから始まります。今でこそスポーツでよく使われるようになった「勝ちきる」という言葉ですが、もともとは将棋や囲碁の世界で使われていた言葉で、「優勢な状態からリードを保って勝つ」という意味なのだそうです。\n囲碁棋士の例を挙げながら「勝つ」との違いについても触れられており、「わずかな隙も見逃さない気合」や「勝利に最短に突き進んでいく感じ」などが説明されています。記事では、常に優位に立っているイメージの「勝ちきる」に対して、「勝つ」は上述の例のように負けたときにも使える言葉になったのかもしれない、とも言われていました。\nでは、「〜きる」という形式はどのように論じられているのか、論文を探してみてパッと見つかったのが玉城（2010）でした。この論文では、アスペクト的な意味である「終了」を表す複合動詞「しおわる」「しおえる」「しやむ」「しあげる」「しあがる」「しきる」「しつくす」「しはてる」の8形式が取り上げられています。これらは「おわり」を表現する点では共通していますが、前につく動作の終了限界達成を表現するもの（「しおわる」「しおえる」「しやむ」）と、そのあり方を表現するもの（「しあげる」「しあがる」「しきる」「しつくす」「しはてる」）の2つの種類に分けられることが明らかにされています。\nこのうち「あり方」を表現する方に分類された「しあげる」については、山崎（1995）を例に、そのアスペクト的な意味が「（完成品をともなう）作業活動の完了および行為の完了（＋同時に話者の満足感・達成感といったムード的意味）」と説明されています。\nそして「しきる」について玉城は、〈終点への到達〉（例. 交差点を渡り切った）、〈動作の完遂〉（例. 書き切るためには、調べ切っていない）、〈それ以上進まない変化〉（例. 夜が明けきると）、〈程度の強調〉（例. 弱りきった、疲労しきっていた）という4つのあり方で終了限界と関わっている、と指摘しています。\n❤️ いいね 0 参考\nhttps://www.asahi.com/articles/DA3S16520112.html玉城あゆみ. (2010). 「終了」を表す複合的な動詞について. 留学生教育：琉球大学留学生センター紀要, 7, 1–15.山崎恵. (1995). 終了の局面を取り立てる局面動詞について. 窪田富男教授退官記念事業会（編）, 日本語の研究と教育：窪田富男教授退官記念論文集 (pp. 77–91). 専門教育出版.keywords [アスペクト]\nKeywords\n[アスペクト]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/362/","summary":"\u003cp\u003e朝日新聞の「夕刊 ことば係」の記事で、「勝ちきる」という言葉が取り上げられていました。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003eこの記事は、サッカーの試合で負けた側のチームの熱狂的なサポーターが「内容は勝っていた」と言ったエピソードから始まります。今でこそスポーツでよく使われるようになった「勝ちきる」という言葉ですが、もともとは将棋や囲碁の世界で使われていた言葉で、「優勢な状態からリードを保って勝つ」という意味なのだそうです。\u003c/p\u003e","title":"#362 勝ったと勝ちきった"},{"content":"小林祐児氏の『職場の対話はなぜすれ違うのか』を読んでいる中で、実際には何も言っていないのに、コミュニケーションがすでに始まっているということについて触れられている箇所がありました。そこでは、社会学者のアーヴィング・ゴフマンによる「儀礼的無関心」という概念が取り上げられて説明されています。\n通勤電車や満員電車で黙ってスマホを眺めている状態も、ただ単に黙っているだけではありません。そこには、乗客同士の「互いに干渉しませんよ」「あなたに関心はありませんよ」という暗黙のメッセージのやりとりが存在しているのだといいます。\nこれを読みながら、昔付き合っていた人に「電車で電話するのがだめなのが意味わかんない」と言われたことを思い出しました。私としては「そんなの絶対にダメなことだよ」と思いながらも、当時は相手を納得させるような説明ができませんでした。\n電話や大声で話すことがマナー違反とされるのも、この暗黙の中で慣習的に行われているコミュニケーションを一方的に無視し、妨害する行為であり、沈黙の中にもコミュニケーションが存在し、相互の思いやりや配慮があるのだと、今ならしっかりと言い返せそうです。\nなお、安達（1997）による「ゴフマンのあいさつ行動論」についての記述が大変参考になりましたので、以下に引用して書き留めておきます。\n「ゴフマンは、E・デュルケームの消極的儀礼と積極的儀礼という宗教儀礼の分類を日常生活の対面的状況の対人儀礼、すなわち相互作用儀礼に適用し、回避儀礼と呈示儀礼に分けている。回避儀礼とは、対面的状況に応じて相互の接近を回避するためのものである。お互いに知り合いではないことをあらわして接近を避けるための行動は、儀礼的無関心とよばれている。これはいわゆる見て見ぬふりをして他者の存在に対して無関心を装う自己演出（パフォーマンス）であり、わざと避けたのではないことをあらわす意味もある。いっぽう呈示儀礼は、個人間の社会関係に応じておこなうことを期待された敬意をともなう自己演出であり、支持的儀礼、ならびにそれに含まれる接近儀礼に象徴的にあらわれている。」\n❤️ いいね 0 参考\n小林 祐児（2026）『職場の対話はなぜすれ違うのか』光文社新書安達 正嗣（1997）「あいさつ行動の社会学的考察 : 日常コミュニケーションの視点から」『名古屋市立大学人文社会学部研究紀要』第3巻, pp.259-268.keywords [儀礼的無関心]\nKeywords\n[儀礼的無関心]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/361/","summary":"\u003cp\u003e小林祐児氏の『職場の対話はなぜすれ違うのか』を読んでいる中で、実際には何も言っていないのに、コミュニケーションがすでに始まっているということについて触れられている箇所がありました。そこでは、社会学者のアーヴィング・ゴフマンによる「儀礼的無関心」という概念が取り上げられて説明されています。\u003c/p\u003e","title":"#361 通勤電車のコミュニケーション"},{"content":"昨日に引き続き、Johnstone（2016）の文献を参考にしながら「エンレジスタメント（enregisterment）」の定義についてまとめていきます。\nまず、前提となる「レジスター（register）」は、Agha（2007）によれば、レジスターとは多様な行動的サインを行為やペルソナのイメージと結びつける「文化的な行動モデル」であり、境界の明確な対象として捉えられます。Hymes（1989）の観点からは「話し方（a way of speaking）」であり、文脈を構成する「言語形式のセット」とも表現できます。\nこうしたレジスターを踏まえた上で、「エンレジスタメント」とは何かというと、Aghaの定義では「実行可能なサインが、特定の集団によって、それぞれ異なった価値を持つ個別的な記号的レジスターに属するものとして認識されたり、再グループ化されたりする過程や実践（processes and practices whereby performable signs become recognized (and regrouped) as belonging to distinct, differentially valorized semiotic registers by a population）」を指します。\nこのエンレジスタメントという概念は、言語的なバリエーションが、あらゆる種類の文脈上のバリエーションとどのように結びついていくのかを分析する際にとても役立ちます。実際に、言語の標準化やジャンル・状況ごとの変種、あるいは特定のペルソナやアイデンティティに結びついた「話し方」などの研究において幅広く用いられており、\nJohnstone自身も以下のモデルをベースに、ピッツバーグという街における話し方のエンレジスタメントを分析しています。\n「A (a linguistic form or some other potentially meaningful act) is enregistered with B (a register) by C (an agent) in terms of D (an ideological schema) because of E (an interactional exigency in which calling attention to the enregisterment of or enregistering one or more forms serves some rhetorical function) and F (a sociohistorical exigency that gives rise to metapragmatic practices).（A（言語形式や行為）は、C（行為者）によって、D（イデオロギー的なスキーム）の観点から、B（特定のレジスター）としてエンレジスタメントされる。これは、E（相互行為上の必要性）および F（社会歴史的な必要性）に起因する。）」\nA：言語形式（Linguistic form）複数形の「あなたたち（you guys）」を意味する yinz（yins）（you ones が変化したもの）や、「〜など（and that）」を意味する n\u0026rsquo;at（n@） などの特徴的な語彙、house を [ha:s] と発音する特徴、さらには方言グッズなどの記号的物品。\nB：レジスター（Register）「ピッツバーグという場所」「労働者階級」「地元の母親」といったペルソナやアイデンティティ。\nC：行為者（Agent）方言を演じるラジオDJ、掲示板で地元の言葉を使う住民、分析する言語学者といった結びつきを強化する主体。\nD：イデオロギー的スキーマ（Ideological schema）「標準語が正しい（＝間違い）」あるいは「地域と結びついた地元の誇り」という解釈の枠組み。\nE：相互行為上の必要性（Interactional exigency）仲間意識の構築やユーモアの演出など、特定の場面で果たす修辞的な機能。\nF：社会歴史的な必要性（Sociohistorical exigency）1960年代以降の経済変化等に伴い、かつての「誤った言葉」が「地域固有のアイデンティティ」へと再定義された歴史的背景。\nこのように、単に言語形式と意味が直結するのではなく、行為者・イデオロギー・相互行為・社会歴史といった複数の要素が絡み合う動的なプロセスとしてエンレジスタメントを捉えることができると言います。\n❤️ いいね 0 参考\nJohnstone, B. (2016). Enregisterment: How linguistic items become linked with ways of speaking. Language and Linguistics Compass, 10(11), 632-643.Agha, A. (2007). Language and social relations. New York: Cambridge University Press. Hymes, D. H. (1989). Ways of speaking. In R. Bauman \u0026amp; J. Sherzer (Eds.), Explorations in the ethnography of speaking, 433–51(2nd ed.). Cambridge (UK): Cambridge University Press.keywords [エンレジスタメント] [方言]\nKeywords\n[エンレジスタメント]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/360/","summary":"\u003cp\u003e昨日に引き続き、Johnstone（2016）の文献を参考にしながら「エンレジスタメント（enregisterment）」の定義についてまとめていきます。\u003c/p\u003e","title":"#360 ピッツバーグ方言にみるエンレジスタメント"},{"content":"前回の記事で扱った「コンビニ敬語」と「エンレジスタメント」という概念が「いのほた言語学チャンネル」でともに論じられたのを受けて、エンレジスタメントについての論文を探していたところ、Johnstone（2016）を見つけました。\n著者のBarbara Johnstone先生は、コロナ禍前の2019年にUC Davisで開催されたアメリカ言語学会の夏期講座で、実際に講義を受けた先生だったため、当時のことをとても懐かしく思い出しました。担当されていたのはDiscourse Analysis（談話分析）の授業だったのですが、課題で短い談話を書き起こす際、全く聞き取れずに苦労した記憶があります。書き起こしの大変さを実感するとともに、談話とアイデンティティの結びつきについて考えさせられた授業でした（当時は今よりも知識がないまま臨んでいたため、色々とチンプンカンプンだったのですが……）。\n話を戻しまして、今回はこの論文の中で印象に残った箇所や、エンレジスタメント周辺の話題について書き留めておきたいと思います（エンレジスタメントそのものの詳しい内容については、次回に回そうと思います）。\nエンレジスタメントの具体的な説明に入る前に、社会言語学の目的とエンレジスタメントとの繋がりについて触れた概要の記述が非常に印象的でした。\n\u0026ldquo;A key question for sociolinguistics is how communicative signs and sets of signs come to index styles, identities, activities, genres, dialects, and other social and communicative practices. The concept of \u0026ldquo;enregisterment,\u0026rdquo; borrowed from linguistic anthropologists in the Piercian semiotic tradition, provides a useful heuristic for thinking about this process.（社会言語学における主要な問いは、コミュニケーション上の記号やその集合が、いかにしてスタイル、アイデンティティ、活動、ジャンル、方言、その他の社会的・コミュニケーション的実践を指標化するようになるか、という点にあります。パース派の記号論的伝統を汲む言語人類学者から借用された「エンレジスタメント」という概念は、このプロセスを考える上で有用な視点を提供してくれます。） \u0026quot;\nまた、「特定の単語や文法パターン、イントネーションのパターンが、どのようにして特定のアイデンティティや活動を指し示すようになるのか？」という問いに答える一つの方法として言語人類学（linguistic anthropology）が挙げられています。\nその発展に貢献した人物として、ローマン・ヤコブソン（Roman Jakobson）、チャールズ・S・パース（Charles S. Peirce）、そして人類学者のマイケル・シルバースタイン（Michael Silverstein; 1993, 2003）やアシフ・アガ（Asif Agha; 2003, 2007）らが挙げられています。彼らは、「社会的な意味」と言語的選択がいかに結びつくようになるのか、そして言語的選択の集まりがいかにして「言語変種（varieties）」として理解されるようになるのかを考察するための枠組みを発展させてきました。その中で特に重要な役割を果たしているのが「指標性（indexicality）」という概念である、と説明されています。\n❤️ いいね 0 参考\nJohnstone, B. (2016). Enregisterment: How linguistic items become linked with ways of speaking. Language and Linguistics Compass, 10(11), 632-643.Silverstein, M. (2003). Indexical order and the dialectics of sociolinguistic life. Language and communication, (23), 193–229.Agha, A. (2003). The social life of a cultural value. Language and communication, 23, 231–273Agha, A. (2007). Language and social relations. New York: Cambridge University Press. keywords[指標性] [エンレジスタメント] 最終日にはサインをいただきました。とってもお優しい先生でした。\nKeywords\n[指標性]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/359/","summary":"\u003cp\u003e前回の記事で扱った「コンビニ敬語」と「エンレジスタメント」という概念が「いのほた言語学チャンネル」でともに論じられたのを受けて、エンレジスタメントについての論文を探していたところ、Johnstone（2016）を見つけました。\u003c/p\u003e","title":"#359 エンレジスタメントを考える前に"},{"content":"以前とりあげた「ファミコン敬語」について、色々と調べてみました。\n本多（2006）では、「こちら領収書になります」のような「になります」という表現に注目しています。これは、本来であれば主語の状態変化を表す動詞「なる」が用いられているにもかかわらず、実際には主語が変化していないため、不自然に感じられると指摘されています。こうした表現は、ある種の丁寧さを表すものとしてファミレスやコンビニなどで若い店員がよく用いることから、「ファミコン敬語」と呼ばれています。\nしかし、不自然であるにもかかわらず非常に広い範囲で用いられていることから、論文では「になります」がどのような表現効果を持ち、どのような人がどんな場合に使っているのかなどが詳しく考察されています。\nまず表現効果についてですが、「こちらカレーライスです・になります・ございます」の3つを比較して説明されています。「です」は店員と客が同じ形式で話す対等の立場の表現であり、「ございます」はファミレスやコンビニで使うには少し堅苦しい印象を与えます。それに対して「になります」は、客から店員に向けて使うことはない表現であり、店員と客の間で対等な関係を成立させないための表現であるといえます。\n次に「だれが使うのか」という点については、ファミレスやコンビニにとどまらず、より広い場面で見られます。例えば、領収書などの＜授与＞だけでなく、「資料の〇〇ページになります」といった＜提示＞や、「確定申告会場は長野県自治会館になります」といった場面でも使われており、若者に限らず幅広い層で用いられています。\nでは「どのような場合に使われるのか」というと、「です」と「になります」の交換不可能性から説明されています。店員から客に「カレーライスになります」と言うことはできても、そのカレーライスを受け取った客が別の客へ渡す場合、「です」は使えても「になります」を使うと不自然になります。この違いについて本多（2006）では、「自分が職務上管理責任を持つものを相手に授与、または提示するとき」に用いられると説明されています。\n最後に、これがどのような仕組みで生まれたのかという点では、「話し手および聞き手の認識世界における変化」を示すという視点から指摘がなされています。例えば「お釣りは100円になります」という場面では、店員はお釣りを計算し、管理して渡す責任を負っています。しっかり計算した結果として「そうなった」というプロセスを店員が客に示す表現として、「〇〇円になります」という言い方が固定化していったのではないかと考えられています。\n❤️ いいね 0 参考\n本多啓. (2006). ニナリマス敬語について. 駿河台大学論叢, (31), 77-91.keywords [敬語] [コンビニ敬語]\nKeywords\n[敬語]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/358/","summary":"\u003cp\u003e以前とりあげた「ファミコン敬語」について、色々と調べてみました。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e本多（2006）では、「こちら領収書になります」のような「になります」という表現に注目しています。これは、本来であれば主語の状態変化を表す動詞「なる」が用いられているにもかかわらず、実際には主語が変化していないため、不自然に感じられると指摘されています。こうした表現は、ある種の丁寧さを表すものとしてファミレスやコンビニなどで若い店員がよく用いることから、「ファミコン敬語」と呼ばれています。\u003c/p\u003e","title":"#358 対等にしない「ニナリマス」"},{"content":"たまった新聞を一気に読んでいたのですが、7月27日（月）の夕刊で、馳浩元石川県知事への「散歩取材」の様子を取り上げた記事が目に留まりました。\n特に面白いと感じたのは、取材の内容そのものよりも「散歩取材」というスタイルです。記事の中では、「連れだって歩く記者に質問を投げかけられた馳氏から、思わずにじみ出た『反応』にご注目ください」と紹介されていました。\n通常の取材では事前に質問項目を用意するのが一般的です。また、相手が答えづらい質問をされたときに見せる言葉の濁しかたや表情、しぐさなどは、記者の主観が入ってしまうため、文字として記事に落とし込むのがなかなか難しいという側面があります。一方で、そうした取材対象者が見せる生の「反応」をそのまま届けることができる点こそが、散歩取材の動画が持つ魅力なのだそうです。\n記事によると、散歩取材は番記者にとって日常的な取材方法の一つとのこと。政治家には早朝に散歩する人も多いため、そこに同行しながら普段は聞けないような話をじっくり聞く絶好の機会になっているといいます。\nさらに印象的だったのは、「毎朝のように共に歩く中で記者の本質もあぶり出され、政治家の人柄や本音もあらわになります」という一節です。自分や他者の情報をどのように周囲へ正確に伝えるかという問いに対して、ひとつの選択肢を示されたような気がしました。\n❤️ いいね 0 参考\nhttps://www.asahi.com/articles/DA3S16513925.html\nKeywords\n[相互行為]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/357/","summary":"\u003cp\u003eたまった新聞を一気に読んでいたのですが、7月27日（月）の夕刊で、馳浩元石川県知事への「散歩取材」の様子を取り上げた記事が目に留まりました。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e特に面白いと感じたのは、取材の内容そのものよりも「散歩取材」というスタイルです。記事の中では、「連れだって歩く記者に質問を投げかけられた馳氏から、思わずにじみ出た『反応』にご注目ください」と紹介されていました。\u003c/p\u003e","title":"#357 散歩しながらの会話"},{"content":"Leech（1983）によると、「ポリアンナ仮説（Pollyanna Hypothesis）」とは、人々が人生の暗い側面よりも明るい側面を見ようとする心理的な傾向を指します。元々は心理学の用語ですが、Leechはこの定義から新たなポライトネスの原則として「ポリアンナの原則（Pollyanna Principle）」を導き出し、「会話の参加者はより楽しいトピックを好むものだ」と説明しています。\n例えば、日常的なスモールトークで「How are you?」や「Hey, how\u0026rsquo;s it going?」と聞かれた際、たとえ実際にはトラブル続きの毎日であっても、「Bad」と答える人はほとんどおらず、「Good」と答えるのが一般的です。こうした身近なやり取りにも、ポリアンナの原則が表れています。\nここまでの背景説明は Podaná の解説を参考にしていたのですが、実際にLeech（1983: 147）の該当箇所の記述を確認してみると、以下のように書かれています。\n\u0026ldquo;To elucidate the motivation for litotes further, I shall call upon yet another principle: one that has been acknowledged by psychologists under the title of the \u0026lsquo;Pollyanna Hypothesis.\u0026rsquo; This states that people will prefer to look on the bright side rather than on the gloomy side of life, thus resembling the optimistic heroine of Eleanor H. Porter\u0026rsquo;s novel Pollyanna (1913).（訳：緩衝法［控えめな表現］の動機をさらに解明するために、もう一つの原則を引くことにする。それは、心理学者たちによって「ポリアンナ仮説」という名称で認められてきたものである。この仮説は、人は人生の暗い面よりも明るい面を見ようとするものであり、その姿はエレナ・H・ポーターの小説『ポリアンナ』（1913年）の楽観的なヒロインに酷似している、と主張している。）\u0026rdquo;\nこのようなポライトネスの意識に基づく婉曲表現を使えば、相手に不快感を与える事象をうまく覆い隠す（disguise）ことができます。たとえば、「解雇された（dismissed）」と直接言う代わりに「人員余剰となった（made redundant）」と言い換えるなど、より攻撃性のない（inoffensive）穏やかな表現を選ぶのがその一例です。\nまた、「a bit」や「a little」を使って不快感やネガティブさを和らげる手法もあります。たとえば、「The paint was a bit dirty.（ペンキが少し汚れていた）」という使い方が挙げられます。「a little」はポジティブな内容には付きにくく、ネガティブなニュアンスを緩和するために使われるため、「She is a little too young for the job.（彼女はその仕事には少し若すぎる）」と言うことはできても、「She is a little young enough for the job.」とは言いません。\nこのように、相手や場への配慮から言葉を工夫することについて、Leechは \u0026ldquo;The influence of the Pollyanna Principle causes both optimistic overstatement and euphemistic understatement. （ポリアンナの原則の影響によって、楽観的な誇張表現と、婉曲的で控えめな表現の両方が生み出されるのである）\u0026rdquo; と締めくくっています。\n❤️ いいね 0 参考\nLeech, G. N. (1983). Principles of Pragmatics. Longman.Podaná, A. (2013). Pragmatic Principles in Informal Interaction [Master\u0026rsquo;s thesis, University of South Bohemia in České Budějovice].keywords [ポリアンナの原則] [婉曲法][ヘッジ][ポライトネス]\nKeywords\n[ポリアンナの原則]\n","permalink":"https://mkitazawa.com/day-log/356/","summary":"\u003cp\u003eLeech（1983）によると、「ポリアンナ仮説（Pollyanna Hypothesis）」とは、人々が人生の暗い側面よりも明るい側面を見ようとする心理的な傾向を指します。元々は心理学の用語ですが、Leechはこの定義から新たなポライトネスの原則として「ポリアンナの原則（Pollyanna Principle）」を導き出し、「会話の参加者はより楽しいトピックを好むものだ」と説明しています。\u003c/p\u003e","title":"#356 ポリアンナの原則"},{"content":"研究活動、学会発表、論文、メディア出演などの最新情報です。\n学会発表\n2026年3月\n北澤茉奈, Instagramのハッシュタグにみる「#kawaii/#かわいい」の多行為性, 第50回社会言語科学会研究大会\n2025年11月\n北澤茉奈・高村遼, 「草」の語用論的機能とメディアの影響-XとLINEにおける使用の比較-, 日本語用論学会第28回大会\n2025年6月\nRyo Takamura \u0026amp; Mana Kitazawa, \u0026lsquo;Kusa\u0026rsquo; as an emerging laughter symbol in Japanese social media, The 19th International Pragmatics Conference\n2025年6月\n北澤茉奈, パブリック・ディスコースのデファクトスタンダード化, 日本英文学会第97回大会 (シンポジウム：多様性の時代における「正しさ」の言語学-継承と形成から見る言語の規範と標準)\n論文\n2025年3月\n北澤茉奈, 英語教育におけるデジタルツールの利用と学習成果 -ChatGPT と YouTube の実践的応用-, 『杉野服飾大学紀要』第23巻 pp. 28-36\n2025年2月\nCorporate Profiles as Public Narratives: Exploring Quantitative and Functional Inquiries to Critical Discourse Analysis（博士論文）\n※ 詳細はこちら（researchmap）\n書籍等出版物\n2026年3月\n北澤茉奈（2026）「企業の語りから見る社会」宮嵜由美・八木橋宏勇（編）『響き合うことばと社会』開拓社, pp. 171-187.\nその他（メディア・対談等）\nVoicy 堀田隆一（英語史研究者）英語の語源が身につくラジオ (heldio)\n#327 【英語史の輪 #327】久しぶりに北澤茉奈さんとの対談 - 博士論文研究について語ってもらいました\n#1535 笑，草，gaers を考える - 北澤茉奈さんとの対談\nYouTube いのほた言語学チャンネル\n第366回 企業のディスコースの分析で博士号取得！お勤めの杉野服飾大学でファッションと記号・言語との関わりを展開！北澤茉奈さん\n第368回 マルチ・オーディエンスデザインとは？企業の年次報告を談話分析と社会言語学の質的／量的に分析\n第370回 企業のディスコースを質的／量的に分析-質と量のグッドバランス！\n第372回 企業のコミュニケーションから個人のコミュニケーションまで-北澤茉奈さん（杉野服飾大学）\n夢ナビ\n夢ナビ 講義ページ\n","permalink":"https://mkitazawa.com/information/","summary":"\u003cp\u003e研究活動、学会発表、論文、メディア出演などの最新情報です。\u003c/p\u003e\n\u003chr\u003e\n\u003cp\u003e\u003cstrong\u003e学会発表\u003c/strong\u003e\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e\u003cstrong\u003e2026年3月\u003c/strong\u003e\u003cbr\u003e\n\u003cp\u003e北澤茉奈, Instagramのハッシュタグにみる「#kawaii/#かわいい」の多行為性, 第50回社会言語科学会研究大会\u003c/p\u003e","title":"Information"},{"content":"所属\n共立女子大学 国際学部 専任講師\n慶應義塾大学 理工学部 非常勤講師\n法政大学 文学部 非常勤講師\n学位\n博士（文学）\n専門\n英語学 社会言語学 談話分析（公的談話、企業メッセージ）\n所属学会\n日本語用論学会\n社会言語科学会\n日本英文学会\nInternational Pragmatics Association\n詳細はこちら（researchmap）\n","permalink":"https://mkitazawa.com/profile/","summary":"\u003cp\u003e\u003cstrong\u003e所属\u003c/strong\u003e\u003cbr\u003e\n\u003cp\u003e共立女子大学 国際学部 専任講師\u003cbr\u003e\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e慶應義塾大学 理工学部 非常勤講師\u003cbr\u003e\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e法政大学 文学部 非常勤講師\u003c/p\u003e\u003c/p\u003e\n\u003chr\u003e\n\u003cp\u003e\u003cstrong\u003e学位\u003c/strong\u003e\u003cbr\u003e\n\u003cp\u003e博士（文学）\u003c/p\u003e\u003c/p\u003e\n\u003chr\u003e\n\u003cp\u003e\u003cstrong\u003e専門\u003c/strong\u003e\u003cbr\u003e\n\u003cp\u003e英語学 社会言語学 談話分析（公的談話、企業メッセージ）\u003c/p\u003e","title":"Profile"}]